師としての感謝はあれど、新天地を選んだ夫に未練はなかった… 「マーサ三宅さん」と「大橋巨泉さん」の出会いと別れ 「夫婦以上にジャズを介した絶妙なコンビ」

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勝手に先生役に

 巨泉さんはマーサさんを訪ねて助言、レコードや譜面を渡すようになった。

「マーサさんはもともと生活のために歌い始め、気付けばジャズが中心になっていた。ジャズを深めようにも何から手をつければよいか分からない状態。巨泉は押しかけて来て勝手に先生役になったのですが、それが生かされた」(安倍さん)

 1歳年下の巨泉さんの求婚を固辞したが、56年に結婚、2女を授かる。

家を出た夫を引き留めず

 巨泉さんが見込んだ通り大スターになると、夫は一転、“そろそろ仕事を辞めてもいいよ”と言い始める。折しもジャズの何たるかが分かってきた頃。64年、家を出た夫を引き留めなかった。

 ニッポン放送の元社長、亀渕昭信さんは振り返る。

「私が入社したのは64年で、その数年後、巨泉さんの番組を担当しました。ラジオやテレビの仕事が急増して大人気になる時期です。巨泉さんの表現の原点であるジャズの評論からタレントへと視点が移っていったと当時感じました」

 ジャズよりも新天地を選んだ夫に、けんか別れではないと解釈して未練を感じなかった。ただ、娘たちが学校で「巨泉」「離婚」などとからかわれる様子を気にした。娘が父親と会う機会を時々作っても自身は立ち会っていない。

大御所になっても真面目で完璧主義

 70年代初め、東京・中野に「マーサ三宅ヴォーカルハウス」を開校。人を蹴落とすのではなく、常に追い抜く気持ちを持とうとの心構えを伝えたのは、自身の歩んできた道に重なる。

 88年、ジャズ界の栄誉である南里文雄賞を受賞。80歳を過ぎても歌い、2018年まで指導を続けた。娘はそれぞれ、大橋美加、豊田チカの名でジャズ歌手として活躍している。

 5月14日、92歳で逝去。

「歌謡曲中心に転身していくジャズ歌手が多い中で、ジャズの王道を生涯歩んだ気骨ある人。ライブで反省点を感じると徹底して直す。真面目で完璧主義な姿は、大御所になっても変わらなかった」(安倍さん)

 多くを語らずとも、師として巨泉さんに感謝していた。

週刊新潮 2025年5月29日号掲載

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