学生相撲出身初の横綱「輪島大士」を鍛えた“見えない努力” 元付け人の峰崎親方が明かす 「朝稽古を終えるとフラーッと部屋を出て…」(小林信也)
千昌夫の嘆き
天才と絶賛される一方、角界の常識にとらわれない奔放な行動で批判も多かった。三役昇進前からリンカーンコンチネンタルで場所入りし物議を醸した。その助手席に乗っていたのも峰崎だ。運転手は部屋の近くの居酒屋のご主人だという。
「あれは歌手の千昌夫さんの車なんです。後で千さんが、『輪島が貸せというから貸したけど、やっと返ってきたと思ったらサスペンションがへたって、修理代が大変だった』と。やることが派手だから批判もされたけど茶目っ気のある人で、私は好きでした」
峰崎は、12代花籠を襲名した輪島の、いわば最後の弟子でもあった。年寄株を質入れして借金をした前代未聞の不祥事で部屋は閉鎖に追い込まれ、三杉磯も放駒部屋に移籍した。だが、
「人の悪口を言わない人でした。あの出来事も輪島さんのせいじゃないと思ったから、恨む気もありません」
輪島が横綱になり、三杉磯が幕内力士になってからも親しい関係は続いた。
「翌日の勝負に備えて私が早く床に入っていると、輪島さんが部屋に来るんです。『寝るのが早過ぎるだろ』とかいって絡んでくるんです。仕方ないから一緒にテレビを見たりして。寂しがり屋というか、輪島さんでも勝負を前に緊張していたんでしょう」