選手への「詰め方は半端ではなかった」 ラグビー日本代表「快進撃」のウラにあった壮絶な戦い
大村武則氏インタビュー第3回
ラグビー日本代表のチームマネージャーを13年間(2009~2022年)務めた大村武則氏(59)。その間のヘッドコーチ(HC)は、ジョン・カーワン(JK)、エディー・ジョーンズ、ジェイミー・ジョセフだった。個性派の3人に対し、大村氏はどのように対応したのか。(全4回の第3回)
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考え方の違う3人のHCのもとで、日本代表が混乱や分断に陥ることなく前進し続けたのは、大村氏をなくしては語れない。3人を深く理解し、チーム全体に「スッと」落とし込む術を考えつくした。
「考え方ややり方は全部違います。いかに、それをチームに落とし込んで勝つ方向に持っていくのか、それが私の仕事でした」
大村氏が日本代表の本格的なマネジメントに加わったのは2010年。当時のHCはニュージーランドの英雄、JKだった。選手とスタッフを「ブラザー」「ファミリー」と呼び、強い絆で結ぶことにこだわった。
「彼自身、非常に繊細な人でした。とにかく、みんなで楽しい時間を共有しよう、その中で楽しく笑う。試合に勝ったら楽しいし、プライベートも楽しい。わかりやすかったですね」
チームの夕食の際は、座席配置まで細かく指示され、選手間の距離を縮める工夫に奔走したという。一方で、グラウンド外での選手の自由は尊重され、「プライベートにスパッと線を引いていました。練習をしっかりしていれば、フリーの時間はリラックスしてほしい」という考えだった。
厳しさと愛情が同居したJKの指導法。その根底にあった「ファミリー」の精神は、その後の日本ラグビーの礎となった。
2012年、エディー・ジョーンズが指揮を執ると、チームの空気は一変する。
エディーは、徹底的に規律を重んじた。選手への「詰め方は半端ではなかった」と大村氏。毎朝の打ち合わせで細部まで赤ペンでチェックが入り、細部にわたりダメ出しが入った。食事の際の服装の指定もされ、選手たちの靴下が違っただけでも容赦なく叱責される。
「エディーは『できるか、できないか』、(できないなら)『こうしよう』という。人にそういうことを言うのは、嫌われるんじゃないかと考えるはずなんですが、関係なく、ガンガン、詰めて、必ず達成させるすごさがありました。常に厳しく、決して妥協を許さない指導。細部までこだわり抜く姿勢を求められました」
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