芸能界引退から6年…元めざましキャスター「高樹千佳子さん」が語る“宅建から始まったセカンドキャリア”
めざましは「今も観ています」
多田さんが担当していた2005年~06年のめざましテレビは、同時間帯の月間視聴率1位をたびたび獲得していた。いわば朝の情報番組として人気が絶頂だった時期に、多田さんは「お天気キャラバン」で全国を飛び回った。
「7月下旬から8月いっぱいの学校が夏休みの時期に、沖縄から北海道までフジ系列26局を北上していく企画です。前日に現地入りして打ち合わせやロケハンを行い、翌朝の生放送を終えたら、また次の場所に移動する。その繰り返しだったのですが、当時は若かったので、見るもの聞くもの食べるもの全てが新鮮ですごく楽しかったです。また1月にハワイから天気中継をしたこともありました。寒い日本の天気を、暖かいハワイからノースリーブで伝えていました。ちょっと今では考えられないことをやっていたりしたのですが……(苦笑)。思い返すとスタジオよりも、外に飛び出しての中継は楽しかったですね」
一番、思い出に残っている中継先は?
「お天気キャラバンのスタート地点だった沖縄で、朝3時頃から打ち合わせをしていたときのことです。ビーチからの中継だったのですが、水平線の向こう側から、すごく綺麗なオレンジ色の朝日がボーンと昇っていった。その景色はすごく覚えています。ただ、お天気キャラバンの頃は、本当に忙しかった。毎日のように移動をして、金曜日に自宅に帰る生活でした。金曜、土曜は洗濯に追われていました。ジーンズは生地が厚いのでなかなか乾かない。最後はドライヤーで乾かして、スーツケースに詰めていました」
懐かしそうにお天気キャスター時代を語る多田さん。今も『めざましテレビ』は観ているのだろうか。
「はい、今も観ていますね。“伊藤(利尋)さんがMCをされているな”、“軽部(真一)さんもまだ出ていらっしゃるな”とか(笑)思いながら観ています。伊藤さんとはハワイロケでもご一緒しましたし、中継でやり取りして頂くシーンが多かった。伊藤さんが『めざましどようび』のMCで、私が『ココ調』というコーナーを担当していた時もよくフォローして頂いた。その伊藤さんが今はもうメインキャスターをされているので、時の流れを感じますし、感慨深いです。ひとつのことをずっと続けていくのは真似できないことですし、尊敬します」
芸能界引退を考えたのは「転職の1年半前」
大学生時代から17年間に亘り続けていた芸能活動は、2019年に卒業した。
「引退を考え始めたのは、転職する1年半くらい前からです。芸能界での仕事が減っていて、いつまでもここにいても……という気持ちが芽生えてきていました。ちょうど40歳になる前だったので、30代のうちには転職したいという思いがあったこと、また娘が1歳になり、それまでの仕事に区切りをつけて別業界で働いてみようと考えたんです」
横浜国立大学工学部建設学科卒業という経歴はあるものの、これまで長らく芸能界に身を置いてきた。なかなか勇気がいる決断だったのではないか。
「ブログくらいしか書いてこなかったのでパソコンも使いこなせませんでしたし、企業や組織の中で働いたことがなかったんです。だから就職をするにしても、何かアピールポイントになる資格を持っていないと難しいのではと考えました。メディア以外の仕事で興味があったのが、学生時代に学んだ、住宅や建築という分野。不動産業に携わりたいと思い、宅地建物取引士の資格を目指しました。まず、資格を取ってから就職活動しようと決めました」
宅建の合格率は約15~18%ほどとされる。仕事、そして育児と両立しながら、どうやって資格取得の勉強の時間を捻出したのだろうか。
「基本は子どもを一時保育で預かってもらえる施設にお願いし、その間に勉強をしていました。ほかには子どもが寝ている時間や昼寝をしている隙に、要点を書き出した暗記用のカードを読み返していました。夜泣きもあったので、勉強を中断して寝かしつけ、眠ったらまた勉強の続きをしていました」
将来への不安が後押ししたと本人は語るが、普通の人にはなかなか真似のできることではない。
「私の場合は、家族の協力を得られたのが大きかったですね。試験は年に一回10月にあるのですが、本番の数カ月前からは母に来てもらいました。母に子どもを見てもらっている間に、図書館に行って勉強したこともありました。母にも協力してもらっている以上、なんとしてでも一発で合格しないといけない。“久しぶりに勉強をしたな”という実感を得られるくらい集中しました」
そして決意どおり、見事、2018年に試験に合格。多田さんは新たな一歩を踏み出した。
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記事後編では、芸能界からの転身、そして現在の暮らしについて語ってくれた。








