「米農家の呪縛というか、使命感で」「休みは年に1週間」 元男子バレー日本代表監督・中垣内祐一さんが50代半ばでコメ農家デビューした理由

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「50代半ばで始めるのは、ハードルが高い」

 ただ帰郷できたのは54歳のとき。10ヘクタールから始めたのだが、想像したより肉体的にキツかった。

「たとえ単純作業であっても、ずっと体を動かしていなければならない。夏の暑さの中でも草取りなどをやるから、知らない人は『ゴルフ焼けか』と思うほど日焼けしますよ。やはり50代半ばで農業を始めるというのは、ハードルが高いと感じましたね」

 しかも中垣内さんが手がけるのは特別栽培米。農薬の使用回数は地域の慣行レベルの50%以下で、有機肥料のみ使用する。

 それは「個性が際立つお米を作る」ということをモットーとする中垣内さんのこだわりでもある。ただ、そうした栽培方法だと草取りも忙しくなる。

「昨年は散布用のドローンが壊れて、必要な薬剤さえ計画通りまけなかったんです。草は生えますけど仕方ないです。多少収量は落ちますが、この栽培方法の方が安心安全だし、おいしいお米ができますから」

「“シングルモルト“のように混じりけなしで提供したい」

 現在、「コシヒカリ」をはじめ、「ふくむすめ」など6種類を育てる。米作りに関して近所の先輩農家から教わることもあると話すが、一方で、高齢などで辞める米農家も珍しくない。帰郷当初の4倍近い田んぼの広さになったのは、後継者不在の田んぼを任されているうちに増えたのだという。

 当然、一人でできる面積ではない。会社組織にし、代表の中垣内さんと父親を含め4名の社員とバイトで栽培している。

 相当なお米の量になるので、JAに売るのかと思いきや、多くは独自のルートで販売するという。

「JAだと他の米と混ざりますからね。うちの米のおいしさを感じてもらうためには、ウイスキーでいう”シングルモルト“のように混じりけなしで提供したい。だから契約するスーパーや私が営業したレストランにも販売しています。『日(NICHI)』というネット通販も私が始めました」

 新日鐵住金の社員として13年から3年間、ゼネコンなどへの営業を担当したことも。高速道路や川の護岸などの基礎を支える土木資材を販売したのだが、そうした経験が役立っているのかもしれない。

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