「米農家の呪縛というか、使命感で」「休みは年に1週間」 元男子バレー日本代表監督・中垣内祐一さんが50代半ばでコメ農家デビューした理由

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【全3回の第1回】

 日の丸を背負い国際舞台で戦った日本代表たち。栄えあるトップアスリートはなぜ農業を始め、なにを好き好んで新たな大地と格闘しているのか。ノンフィクション・ライターの西所正道氏が、土にまみれ、自然の営みに翻弄される3名の事情と日常と首尾に迫った。第1回は、元男子バレボール日本代表監督・中垣内(なかがいち)祐一さん(57)にお話を聞いた。

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 米はもとより、野菜も果物も値上がり値上がりのご時世。おまけに農業人口は減る一方ときている。

 そんな中にあって、アスリートのエリートともいうべき元日本代表選手が引退後、田畑を耕し始めた。

 その筆頭は高騰を続ける米を作る、中垣内さんである。

「お米の値段に関しては、ご不満のある方は多数いらっしゃると思いますが、私のような米農家からすると、いまの価格が適正じゃないかと思うんです。トラクターなど農業機械が壊れて、新しいのは買えないから辞めていく高齢の農家さんをたくさん見てきました」

「米農家の呪縛」

 現役時代は全日本のエースアタッカーとして活躍。筑波大学4年のとき全日本代表に初選出され、卒業後は新日鐵(現・日本製鉄)のバレーボールチームに入部し、ルーキーイヤーにMVPに輝いた。1992年バルセロナ五輪に出場し、2004年に現役引退。その後は堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺)監督を経て、21年東京五輪では監督として指揮を執り29年ぶりにベスト8に導いた。

 そんな輝かしいキャリアを持つ中垣内さんが、東京五輪の翌22年、故郷福井で米作りを始めた。水田は現在37ヘクタール、6人制バレーボールコート約2300面にも匹敵する。

 聞けば、中垣内家は江戸時代から13代続く米農家。

「漠然とですが、現役選手のときから50歳には福井に戻りたいと思っていたんです。米を作り始めたのは米農家の呪縛というか、カッコ良く言えば使命感ですかね。父が鉄工所を営む傍ら、やりがいをもって米作りをする姿を幼い頃から見てきましたから」

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