大記録まであと2勝が遠い「田中将大」を“たかが2勝”と侮れない理由…「200勝」&「2000安打」達成目前で力尽きた“先輩”たちを振り返る

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「これだけ打てば、2000本打ったも同然だからいいだろ」

 名球会以前では、飯田徳治(南海→国鉄)が1978安打、毒島章一(東映)が1977安打、小玉明利(近鉄→阪神)が1963安打を記録。兼任コーチだった毒島は2000本まであと23に迫りながら、現役最終年(71年)は肩の故障で一度も打席に立てずじまい。「これだけ打てば、2000本打ったも同然だからいいだろ」と田宮謙次郎監督に言われ、翌年から専任コーチになった。

 近年では、今季開幕直前に引退を発表した中島宏之(西武→アスレチックス傘下→オリックス→巨人→中日)も、谷と同じ通算1928安打。あくまで結果論だが、2013、14年の2年間、渡米せずに日本でプレーを続けて入れば、達成できていたはずだ。

 通算1912安打の井端弘和(中日→巨人)は、現役最終年の15年にも98試合に出場し、まだ十分現役を続けられたが、同年齢の高橋由伸が巨人の新監督に就任すると、「彼より長くやることはないと思っていた」と引退を決断、高橋監督の下、1軍内野守備走塁コーチに就任した。

 通算1865安打の村田修一(横浜→巨人)も、17年オフにまさかの戦力外通告を受けていなければ、その後、2年程度で大台に到達していた可能性が強い。

 200勝や2000安打の目標を達成することがすべてではないが、目前まで迫ったら、やはり達成しておきたいというのが、多くの野球人の偽らざる気持ちだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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