「君は業界から葬り去られても文句は言えない」 歌手生活60周年「加藤登紀子」を突き動かすシンガーソングライターとしての“覚悟”
「歌手生活60周年」のメモリアルイヤーでもある加藤登紀子さん(81)は、3月から始まった60周年記念コンサートツアーの真っ最中だ。5月21日にはニューアルバム「for peace」も発売。精力的に歌い続ける加藤さんの活力の源は何か。60年の歌手生活を振り返ってもらいながら、話をうかがった。(全2回の第2回)
50歳で大きな決断
「誰も君に曲を書かないよ。それでもいいの?」
60年前のデビュー当時、加藤さんはあるスタッフにこう言われたという。
「私がデビューした頃、自分で詩を書いて曲をつけて歌う“シンガーソングライター”に対してバッシングがひどかったんです。当時は、レコード会社に専属の作詞家、作曲家がいて、彼らが書いた曲を歌い歌手を育てるという、業界の構図があったんです。シンガーソングライターなんて言葉もなくて、自作自演なんて言われていたけど、まだ珍しかったの。私の他に、自分で作って歌っていたのは加山雄三さん(88)と、荒木一郎さん(81)くらい。1966年に『赤い風船』でレコード大賞新人賞を頂いた翌年、曲を作り始めた私に『君は業界から葬り去られても文句は言えない。その覚悟はあるのか』と言われたのです」
その時は「そんなものなのかな」と思ったというが、あくまで自分流を貫き、常に第一線で歌い続けてきた加藤さんに大きな転機が訪れたのは、デビューから27年目の1993年。現在の個人事務所を立ち上げた時だった。
「きっかけは、あるディレクターのひと言でした。彼にしてみれば、たまたまの発言だったのかもしれないけれど、50歳になった私には、大きな衝撃でした。その頃、いくつか曲ができたので、知り合いのディレクターに聴いて欲しいとお願いしたんです。でも『困ります。そんなに曲を作ってもらっても、レコードを出すにはお金がかかるんですよ』と拒否されたんです。いくら私が曲を作ったとしても、レコーディングできるとは限らないって」
アーティストにとって曲は、存在することに意味がある。自身が向き合っていること、思っていることを曲にして歌うことで自分も強くなり、さらなる創作意欲が湧いてくる。レコーディングはそれを記録する大事な作業だ。しかし、レコード会社が求めるものはヒット=売れることで、出す曲が必ず「売れる」とは限らない。
「それなら、私は自分のペースでレコーディングできるようにやっていけばいい。もちろん、売れることも大切だけど、私は自分のやり方でやっていくと決め、今の事務所を立ち上げました」
その時、漠然と「歌手は何歳までできるのかな?」と考えたというが、事務所立ち上げについてきてくれたスタッフもいる。わずか2~3年で辞めてしまうようでは申し訳ない。そこで、こう宣言したという。
「80歳までは歌うから。最低でも、あと30年は大丈夫よ!」
それから、あっという間に30年が過ぎた――。
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