田中圭が東出昌大のように「復活」するのが難しい理由 「求められるのは、謝罪よりも物語」

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田中圭は第二の東出になれるのか? 必要なのは「謝罪」よりも「物語」

 それに対し、田中さんは舞台にも立ち続けており、少なくとも俳優業から退く気配はない。謝罪会見を開くでもなく、SNSでも明確な言及を避けるその姿勢に、「反省していないのでは?」「お酒のせいにしてスルーするつもりでは」という疑念も生まれている。つまり、「一度落ち切って、這い上がる姿を見せる」という東出さんのストーリーとは異なり、田中さんからはまだ「転落の実感」すら伝わってきていないのだ。

 東出さんは騒動後長らく強い批判にさらされていた。特に世間の「元妻・杏さんへの同情」は根強く、「育児放棄ではないか」という声も目立っていた。そして、「これ以上落ちようがない」というところまで評判を落としたことが、逆説的に復活への第一歩になったともいえるだろう。

 しかし田中さんの場合、「誤解」だと一貫して報道を否定している。「まだ転んでもいない」というのが本人や事務所の認識なのだろう。

 千鳥足で転びそうだが、どうにか持ちこたえた。そんなところかもしれない。直撃時のうろたえ方を見ると、批判よりも失笑が先に漏れてしまったのは私だけではなかったようだ。狩野英孝さんや袴田吉彦さんなど、不倫が明るみに出た時のあまりに情けない姿によって、スキャンダル前よりも親しみを持たれるようになった例もある。あまりに自身のポンコツぶりに自覚的だとそれはそれであざとく見えるが、田中さんはそうした計算ができないからこそモテてきたに違いない。

 先の計算ができない、学習しない、懲りない男。同じような評価を受けていた東出さんは「転び方」で失敗したが、「立ち上がり方」で再評価された。俳優業にこだわらず、ダメな素顔をとことん見せるところから這い上がるという物語を見せた。今では新しい妻も子どももいる。繊細な現代人にとって東出さんの生き方は、まぶしいほどたくましく映っているようだ。

 そう考えると、今の田中さんに求められているのも、「謝罪」より「物語」なのだろう。

 酒グセと女グセの悪い男だと開き直り、東出さんのようにキャラ変する。世間の批判をそらすため、妻に絞られたという恐妻家を演じる。あるいは自分の口で、丁寧な説明の場を設け「誠実な男」を強調する。はたまたこのまま沈黙を貫く……次の一手としていろいろなパターンは考えられるだろうが、田中さんからはまだ立ち上がる準備すら見えてこない。それは彼がまだ、本格的に転んでいないからである。それがプラスなのかマイナスなのかはさておき、復活劇としての盛り上がりに欠けるのは確かではないだろうか。

 いずれにせよ事実がどうあれ、東出さん同様に再び拍手を浴びる日が来るかは、田中さんがどのようなストーリーを紡いでいくのかにかかっている。そしてそれは、ただのイメージ回復というものではなく、「人間・田中 圭」を見せるという、俳優にとっての本質的な演技の場なのかもしれない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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