トランプの爆走を生んだ「歴史の変化」が見えない人びと 「ニセモノ」の解説に騙されないために、いまこそ「江藤淳」を読み直そう(與那覇潤)
「起きないはず」の出来事ばかりが「起こる」世界。トランプ再登板や極右の台頭、その前はウクライナ戦争やコロナ禍……対応をまちがえた専門家は、「ニセモノ」の議論でごまかしを続ける。なぜ日本人は誤りを知ってもニセモノをやめられないか、本質を見抜き警鐘を鳴らす人がいた。1999年に自死した文芸評論家の江藤淳――。混沌の時代に『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』(文藝春秋)を世に問う、評論家・與那覇潤氏の緊急寄稿。
すでに10年も続く現実を、否定するニセモノたち
私たちが過ごした直近の10年間は、「ニセモノの時代」だった。2025年に入ってそのメッキが、ぽろぽろと剥げて落ちつつある。
2016年の6月に、英国が国民投票でEU離脱を決め、11月には米国の大統領選挙で、トランプが1度目の当選を果たした。どちらも専門家の予想を裏切る事態で、世界を驚かせたが、私たちはそれらをこう「ごまかす」ことで、続く10年を生きてきたように思う。
《あんなものは民主主義のバグであり、一時的な「逸脱」だ。別に、私たちの歴史のコースが変わったわけじゃないから、私たちの価値観も変えなくていい。むしろバグを防ぎ対抗するためにこそ、従来どおりの主張をもっと大声で繰り返すべきだ。》
ポスト・トゥルース(真実以降の時代)が流行語になりながら、その対策は昔ながらの「ファクトチェック」(事実の確認)だったのは、象徴的だろう。
だが2025年の現在を見てほしい。私たちは2016年から見て、いまどんな位置にいるだろうか?
トランプの関税政策が「自由貿易体制を破壊する」と非難を集める昨今だが、17年の1月に就任早々の第1次トランプ政権が真っ先に行ったのも、大統領令による「TPPからの恒久離脱」だった。
EU離脱運動の主導者が結党した「リフォームUK」は、支持率で英国の二大政党をもしのぎ、今月の地方選に圧勝。極右と呼ばれるEU懐疑派がどの国でも台頭し、25年2月のドイツ総選挙ではネオナチに近いともされる、AfD(ドイツのための選択肢)が第二党に躍進した。
歴史のコースは2016年、あきらかに変わっていたのだ。しかし、そうした転換を「見ないふり」でやり過ごすためのニセモノの議論が、10年にわたり注ぎ込まれてきた。
ちょうど真ん中の2020年から世界を襲った、新型コロナウイルス禍への対応は典型だ。16年にトランプ当選を予想できなかったのをはじめ、「専門家」がまちがえた例は、無数にある。どんな分野であれ、無謬のプロなどいない。
2003年にイラク戦争が始まったとき、専門家は「大量破壊兵器があるはずだ」と主張したが、実際にはなかった。11年の福島第一原発事故も、専門家に従えば「起きないはず」の事故だった。そんなことは、みんな覚えていたはずである。
ところがなぜか、ウイルス襲来の前はまったく無名の「専門家」が教祖のようにメディアに祀り上げられ、政府を動かし、異論を認めず取り締まる現象がどの国でも起きた。米国では20年に再選をめざしたトランプが、科学者の助言に従ったコロナ対策を掲げるバイデンに敗れた。
「戦後日本はニセモノだ」と喝破した三島由紀夫
だが今年ふたたびホワイトハウスに戻ったトランプの下で、彼らの評価は文字どおり逆転している。ウイルスの起源は中国の研究所である可能性が高く、ワクチンには人により死に至る副作用があった。かつて「ファクトチェック」で否定された主張こそが、実際にはファクトだったわけだ。
プーチンとも妥協してトランプが強引な収束を急ぐ、ウクライナ戦争についても同じことが言える。
22年2月の開戦までは、ロシア研究の専門家ほど「プーチンは寸止めで妥協し、戦争はしない」と予想した。実際に戦争になり、ロシア軍がキーウの攻略に失敗するや、軍事支援によりウクライナが失地を挽回して「勝てる」、それ以外の停戦は「ありえない」と、多くの専門家が唱和してきた。
いずれもまちがいであり、彼らが描いた世界秩序の図柄はフェイクだった。トランプがあからさまにしつつある、血も涙もない現実を前にして、彼らに語れることは何もない。
どうして、こうなってしまったのだろう。なぜ私たちは、起きている変化をありのままに見るのではなく、ニセモノの言論で覆い隠すことを選ぶのだろう?
今年は戦後80年だが、「なぜニセモノが選ばれるのか」を考えるうえで、実は私たちは世界でいちばん、よい位置にいる。
ある種の日本人にとっては、敗戦の後に築かれ、やがて自明視されるに至った「戦後日本」の秩序そのものが、ごまかしのニセモノだったからだ。「押しつけ憲法」を全否定する極右や、日米安保の廃棄をうたうラディカルな左派を思い出せば、わかりやすい。
そうしたニセモノの告発者として最も知られるのは、1970年にクーデターによる憲法転覆を訴えて自決した三島由紀夫だ。しかしここまで「行動」に走られちゃうと、ニセモノがはびこる理由を理知的に「観察」するのには、向いていない。
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