連休明けで気が重い人は「先が見えなくて当たり前と考えてみては」 養老孟司先生が語る「無計画のすすめ」

国内 社会

  • ブックマーク

 ネット上は「コメ不足」「物価高」から芸能人や政治家の不倫まで、あらゆるテーマに関する怒りの声であふれている。そのせいというわけでもないだろうが、日本人の幸福度の低さについてはよく指摘されるところだ。

 イギリスのオックスフォード大学のウェルビーイング・リサーチセンターが毎年発表している「世界幸福度報告書」では、日本は先進国の中での「下位常連国」。先日発表された2025年版報告書でも55位で、G7各国の中では最下位。日本よりもはるかに「貧しい」とされる数々の国よりも幸福度が低いとされている。

 実感として、周囲に心が疲れた人が増えたと感じる方は多いだろうし、ご自身がそうだという方も多いだろう。ゴールデンウイークを終え、五月病の季節となった今ならなおさらだ。

 物価高その他で生活が苦しいとはいえ、もっと経済的に苦しい国の人たちよりも幸福度が低いのはなぜか。メンタルで問題を抱える人が増えるのはなぜか。それに対してどのような心持でいればいいのか。

『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟司さんは、新著『人生の壁』の中で、社会のシステムに原因があるのではないかとしたうえで、心の持ち方をアドバイスしている。養老先生のアドバイスに耳を傾けてみよう(以下、『人生の壁』より抜粋・引用)。

 ***

社会のシステムが素直でなくなっている

 以前と比べて、メンタルを病んだという人が増えているようです。

 これも社会システムのどこかに無理がある、あるいは社会が人に無理をさせている結果なのでしょう。

 システムが素直じゃない、とでも言えばいいのでしょうか。

 物事はきちんとやらなければいけない。そのためにシステムはきちんとしたものがいい。理屈はその通りなのですが、それがストレスのもとになっている。

 物事を杓子定規(しゃくしじょうぎ)に考えすぎることで、ルールだけがどんどん多くなり、融通がきかなくなっている。決まりはそうだけれども、これは仕方ないよな──そういうバッファー(余白)がなくなっているのです。

 学校がいい例でしょう。「必ず行かなければいけないところ」になってしまった。昔、学校ができた頃は、行かなくてもいいところで、奇特な人だけが子どもを行かせていたのです。それがだんだん誰もが行くところになって、さらに行くことが強制されるようになりました。

 私は中学生の時に学校に行くのが嫌になってきて、系列の高校に進学するのではなく、別のところに転校させてくれと母親に一所懸命に言ったことがありました。細かいことに厳しいのが窮屈で嫌だったのです。それで母親が学校に掛け合いに行ってくれたものの、結局、校長先生になだめられて、そのまま進学することになった。転校しそびれたわけです。

 今振り返れば、その高校で良かったのでしょう。もちろん転校したらしたで、きっと何とかなったのだろうとは思います。

 今の子どもたちについていえば、本人のあずかり知らぬ事情や理由で、大人たちが勝手に動いている部分が大きくなり過ぎた気もします。その結果、大人が自分を相手にしてくれていないというふうに感じてしまう。大人からすれば、「あなたのため」なのかもしれないけれども、それを当人たちは理解できません。

先が見えてしまう社会の問題

 若い人が気の毒なのは、先行きが明るく思えないような社会になっていることです。日本の社会ではあらゆることが行き詰まってきている。そのように感じる人は多いことでしょう。

 みんな、何となく「先が見えている」と思っている。さまざまな可能性があるはずの若い人ですらそうです。無理もありません。先が見えるよう、見えるようにと社会のシステムを整えてきたからです。

 ある時、大学で学生たちに、物事をどういう基準で決めているか聞いたことがありました。何かをするにあたって、最初に考えるのはどういうことか。

 優先事項は何か。判断基準は何か。たとえば「正しいか否か」でも「愛情をもってやれるかどうか」でも何でもいいわけです。「面白いかどうか」と言う人もいれば、「儲かるかどうか」と言う人もいるでしょう。

 しかしその時の学生の最初の答が「安全かどうか」でした。最初に考える基準が「安全」なのです。無難に行きたい、リスクを回避したい。

 その先を聞く気が失せてしまいました。その考え方では人生はつまらなくなるのは当然でしょう。先を見よう、見ようとして、何が面白いのでしょう。

 何をするにもギャンブル的な感じはある程度あったほうがいいのです。『バカの壁』を依頼してきた編集者の石井昂(たかし)さんは、ギャンブルが大好きです。おそらく出版もギャンブルだと思っているのではないでしょうか。

 ところがいまは20代の時から、老後に備えろという。何歳の時に貯金がいくらなければいけないとか、投資を分散しろとか、実にアホらしいと思います。途中で大地震が起きたらどうするのか。計画変更せざるをえないでしょう。

 少し前には、定年を迎えた時には2000万円は貯金がないといけないということが話題になっていました。

 私が東大を辞めるとき、57歳でしたが貯金なんかほとんどありませんでした。それでも何年も先のことを考えようとはまったく思っていなかった。それは基本的に今もそうです。

 かなり先まで予定は決まっています。依頼された仕事、講演のように、向こうから降ってきた予定です。しかしそれ以外のことは決めていません。何か起きたら「しょうがない」です。

 今の人はそういうのを無計画だと思われるのかもしれません。しかし、ずっと計画的にことを進めてきた人が、幸せを手に入れているのでしょうか。人生は常に不確定要素を含んでいます。突発事態に直面せずに生きられる人はいません。

 綿密に考えて計画的に進めてきた人が、適当な人よりも恵まれた暮らしをしているのか。それもわかりはしないのです。

 私自身は、先に目標を立てたりせずにやってきました。状況依存です。

 目標を強く意識する人のほうが鬱になりやすいのではないでしょうか。思うようにならないことで悩むからです。

 そういう人は、思うようにしようと思うほうが間違っているとはなかなか考えられない。思うようにならないのが当たり前なのです。

 大谷翔平選手は高校生の時に、人生のスケジュールを立てて、立派に実行しているそうです。でもそういう人は特殊だと思っておいたほうがいい。彼は目の前にあることをやっているうちに、すごいところに到達した。仕方なく成功したのです。

 周囲から見れば大変な努力なのですが、本人からすれば努力しないと気持ちが悪いから努力しているだけではないでしょうか。練習は好きでやっていることです。

 幸いなことに、私は努力しなくても平気なのでしません。80歳を過ぎているわりにはかなり忙しく仕事をしていますが、これも目の前にあることにその都度対応する、その積み重ねに過ぎないのです。

 ***

 もちろん養老さんは努力なんてしなくていい、目的なんて持たなくていい、と主張しているわけではない。思い込みが強くなりすぎると心が疲れるのでは、というのが本来のメッセージだろう。『人生の壁』の中で養老さんは、人生相談を受けた際には、ほとんど「とらわれない、偏らない、こだわらない」という三つの答で済ませている、とも語っている。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。