「プロデューサーから“お風呂入った?”とかセクハラが」「降板理由は…」 今だから話せる「Gメン75」ウラ話 藤田三保子×倉田保昭

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ヒットするとは誰も思っていなかった

倉田 台本も読まずに決めたの?

藤田 そう。だってお断りする選択肢、私にはなかったから。そもそもGメンって言われたって、なんだか分からないでしょ。マネージャーやスタッフですら、どんなドラマにするか見えていない様子でした。

倉田 「バーディー」が打ち切りで終了した時点で、TBSと制作の東映が契約した分が残っていて、その消化で19話だけやるという話だったしね。

藤田 ヒットするとは誰も思っていなかったでしょうね。Gメンのメンバーはほとんど初対面でした。藤木悠さんだけ、10代のころにドラマ「泣くな青春」でほんのちょっと共演していたのかな。大二郎さんは文学座の先輩だけど、お会いするのはGメンが初めてでした。でも、丹波さんにはスケールの大きさを感じたなあ。貫禄があって、でも若々しくて、圧倒されました。

バスタブで眠りに

――Gメンの撮影はものすごくタイトだったとか。

倉田 タイトなんてもんじゃなかった。家族よりもGメンのメンバーといる時間のほうがはるかに長かった。

藤田 あいさつは「おはよう」ではなく「生きてるか?」。撮影中「死にはしないよ」と励まし合っていました。

倉田 放送は週1回だけど、順番に撮影していったら間に合わないから、スタッフはAB2班体制で同時に進行していたよね。

藤田 2班といっても、役者はAB両方参加するから、フル回転です。ベッドで寝る時間がなくて、よくバスタブで湯に浸かったまま眠りに落ちていました。

倉田 それ、死んじゃうよ。

藤田 夕方5時に都内でA班の撮影がアップして、6時から埼玉県の川口でB班の撮影というときもありました。空腹を訴えたら「ロケバスに出前を取ってやる」と言われて、親子丼をかき込んでB班の現場に臨んだ。男性陣は自分で運転して来ていたけれど、22歳で若手の私はロケバス。集合は朝7時に新宿。撮影のアップが深夜2時、3時になるのも珍しくなかった。

倉田 帰れないでしょ?

藤田 夜11時を過ぎると「送り」と言ってタクシーチケットが出るんだけど、経費節減で10時50分に終わることもありました。都下の福生(ふっさ)で深夜1時に終わってからロケバスでスタッフ全員を待って都心に戻り、4時に「もう始発が出るから地下鉄で帰れ」と駅の近くで降ろされた。それですぐ7時に新宿集合だよ。

倉田 女優さんの扱いではないね。

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