生卵で前が見えない…ダイエーファンが怒り狂った1996年「日生球場の乱」 今では考えられない王監督への「辞めろ、サダハル!」のシュプレヒコールも

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生卵で前が見えなくなったフロントガラス

 雨で1日延び、5月9日に行われた日生球場最後の試合もダイエーは2対3で敗れ、同5日からついに4連敗。1点差の惜敗ではあったが、それでも南海懐古派のファンは容赦しなかった。

 最後の打者・ライディが三振に倒れた直後、外野席から発煙筒2本がゴミとともにグラウンドに投げ込まれ、ファンがグラウンドに乱入。計4人が警備員に取り押さえられた。

 一方、ダイエーのバスは、混乱を避けるため、主催の近鉄球団の配慮で出発口を左翼後方の通用門からバックスクリーン裏手に変更していたが、関係者の機密事項であるはずなのに、一部スポーツ紙で場所が見取り図付きで報じられたことから、約200人のファンがバスの前に集まっていた。

 試合終了後、15分間にわたってベンチ裏でファンが引き揚げるのを待っていたダイエーナインだったが、情報が筒抜けになっているのだから、ほとんど意味をなさなかった。

 手ぐすね引いて待ち構えていたファンたちは、選手たちが姿を見せると、「辞めろ、サダハル!」のシュプレヒコールとともに一斉に生卵を投げつけた。ナインがバスに乗り込んだあとも、十数個の生卵がフロントガラスにぶつけられた。この日先発して負け投手になった吉田豊彦は、生卵で前が見えなくなったフロントガラスを運転手がワイパーで流していた光景をよく覚えているという。

「勝てば文句は言われないんだ。このファンも勝てば拍手で迎えてくれたはず」と王監督に奮起を促されたダイエーナインは、6月に13勝11敗、7月に10勝6敗と2ヵ月連続で勝ち越したが、9月に4勝13敗1分と失速し、同年は最下位でシーズンを終えた。

 そんな苦難の時代を経て、福岡移転11年目の1999年にダイエーとしての初優勝と日本一を実現。その後、チームの黄金時代を築いた王監督は、ソフトバンク球団会長就任後の2019年1月、日本記者クラブの会見で「『卵をぶつけられるような野球をやっているのはオレたちなんだ。だからこそ、ぶつけられないようにしよう。あの連中に喜んでもらおうよ』という話を選手たちにしました。我々にとっては、いい刺激になったと思います」と当時を振り返っている。

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 第5回記事、〈世の中に「阪神ファンは凶暴」のイメージを植え付けた「催涙スプレー事件」 地方球場での対阪神戦が10年間“出禁”になった大騒動とは〉は5月7日(水)に配信します。

久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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