昭和の阪神ファンは怖すぎた…巨人との優勝決定戦に敗れ3000人が甲子園に乱入! 逃げ遅れた王選手は殴り倒され、球場周辺は“無法地帯”に
あまりにも不甲斐ない戦いぶりに阪神ファンが激高!
そして、雨で1日延び、10月22日に行われたシーズン最終戦。勝ったほうが優勝という天王山の一戦は、9年前の優勝経験者が少なく、コチコチの阪神に対し、大舞台の経験豊富な巨人のほうが勢いで勝っていた。
1回表、萩原康弘が四球で出塁すると、黒江透修も左前安打で続き、柴田勲の一ゴロも幸運な内野安打となって無死満塁。王の右犠飛と柳田の内野ゴロで2点を先取した。
2回にも高橋一三の左前の打球が左翼手の拙守でタイムリー三塁打となり、さらに代打・末次民夫の中前タイムリーで4対0。上田は2回も持たずに交代となったが、金田監督は江夏をリリーフに投入しようとせず、2番手以降の投手も巨人打線の餌食になる。勢いに乗った巨人は5回まで毎回得点で一気に試合を決めた。
勝利を信じていた阪神ファンは、あまりにも不甲斐ない戦いぶりに激高。7回になると、優勝決定時のために用意していた五色のテープや紙吹雪、クラッカーなどにまじって、座布団や空き缶、空き瓶をグラウンドに投げ込み、試合を一度ならず中断させた。
だが、これはほんの序曲に過ぎなかった。0対9と大きくリードされた9回裏、最後の打者・カークランドが空振り三振に倒れ、巨人のV9が決定した瞬間、一塁側スタンドから約3000人のファンがグラウンドに乱入し、怒声を上げながら三塁側の巨人ベンチになだれ込んだ。
実は、前年も巨人は10月7日に甲子園の阪神戦で8年連続のリーグVを決めていたが、直後、グラウンドが約2000人の阪神ファンに“占拠”されため、川上哲治監督の胴上げが中止されていた。
こうした事態を踏まえて、球場側も警備の警察官やガードマンら530人を配備していたが、怒れる虎党の大攻勢の前にはなすすべもなかった。前年は巨人に4.5ゲーム差をつけられていたが、今度は勝てば9年ぶりの優勝という試合で歴史的大敗を喫した直後とあって、ファンの怒りのボルテージもMAXに達していた。
「早く逃げろ!」 それでも逃げ遅れた選手たちが…
試合が終わるやいなや、巨人ベンチから守備に就いている選手たちに「早く逃げろ!」の声が飛んだが、巨人ファンと握手しようとして逃げ遅れた王が右頬を殴られ、ベンチの中で仰向けに倒される。助けようとした国松彰コーチもカウンターパンチを食らい、メガネが吹き飛んだ。牧野茂ヘッドコーチも脇腹を蹴られ、川上監督は猛ダッシュでベンチ裏に逃げ込んだ。
巨人ナインがいなくなったあとも、暴徒たちはダッグアウトのイスを壊したり、巨人と同系列の読売テレビのテレビカメラやマイクを破壊するなど荒れ狂い、約20人が暴力行為、器物損壊で甲子園署に逮捕された。
それでもファンの腹の虫は収まらない。試合終了から2時間以上経過しても、球場前に約700人が集まり、「金田を出せ!」「金田謝れ!」の大合唱。18時過ぎに金田監督が姿を見せ、「期待に応えられず、すみませんでした」と謝罪する羽目になった。
その夜、甲子園周辺では、どこもかしこも虎党たちがヤケ酒をあおっていたが、尼崎市内のバーでは、有線放送で突然巨人軍の歌「闘魂込めて」が流れ出したことから、ぶち切れた客が大暴れ。止めなければいけない立場のマスターまで一緒になってカウンターにあったビール瓶をスピーカーに投げつけ、めちゃめちゃにしたという(週刊ベースボール11月12日号)。
その後も阪神は優勝から遠ざかり、虎党の長年の思いが報われたのは、12年後の1985年だった。
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第4回記事、〈生卵で前が見えない…ダイエーファンが怒り狂った1996年「日生球場の乱」 今では考えられない王監督への「辞めろ、サダハル!」のシュプレヒコールも〉は5月6日(火)に配信します。
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