“カープ女子”は知らない「昭和の広島ファン」が起こした“暴動事件” 巨人ナインを襲撃した1976年の「酷すぎる仕打ち」を振り返る
昭和から平成にかけて、試合中や試合後に多数のファンが暴徒と化して起こした事件を紹介する特別企画。第2回は1976年4月16日の広島対巨人の試合終了後に起きた、巨人の選手と広島ファンの警察沙汰にもなった大騒動をプレイバックする。【久保田龍雄/ライター】
(全5回の第2回)
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国籍絡みの心ないヤジの数々…
前年、球団創設26年目で悲願の初優勝を実現した広島は1976年シーズン開幕後、連覇を期待するファンの思いとは裏腹に、後楽園で巨人に3タテを食うなど、7試合を消化して0勝5敗2分と大きく出遅れた。
そして、ファンの溜まりに溜まったフラストレーションが、地元・広島で開催された巨人戦で一気に爆発する。
中でも彼らの憎悪を一身に集めたのが、この年日本ハムから巨人に移籍した張本勲だった。同じ広島県出身者でありながら、敵チームの一員になった張本は“裏切者”と見なされ、パ・リーグ時代の“暴れん坊”のイメージも相まって、カープファンの多くが反感を抱いていた。
さらに張本は、4月10日からの後楽園3連戦で9打数6安打4打点と打ちまくり、広島3連敗の大きな要因となっていただけに、ファンの悪感情も一層高まり、広島市民球場は試合前から不穏な空気が漂っていた。
一方、張本にとって、この日はプロ18年目で初めて故郷・広島で行われる公式戦とあって、母・順分さんと兄・世烈さんをスタンドに招待し、巨人のユニホームを着て故郷に錦を飾るのを楽しみにしていた。
ところが、待っていたのは、広島私設応援団による「暴力選手はセ・リーグから追放せよ!」の横断幕をはじめ、国籍絡みの心ないヤジの数々。張本がレフトの守備につくと、スタンドから空き瓶やラジオが飛んできた。
長嶋監督を守るために応戦
サンデー毎日6月20日号によれば、スタンドで観戦していた順分さんは、あまりのヤジのひどさに「息子が何でこんな目にあわねばいけんのか?」と悔しがったという。見かねた世烈さんが、目に余るヤジを飛ばしているグループに「民族的な中傷だけはやめてください」とお願いすると、「オレたちはバクチでカープに随分賭けとるんじゃ。お前ら銭払うてくれるんならやめたる」と取り合ってもらえない。不愉快になった世烈さんは7回表で観戦をやめ、順分さんとともに球場を出てしまった。
そして、最終回に事件が起きる。2点を追う巨人は最後の粘りを見せ、1死満塁から末次利光の中犠飛で1点を返したあと、なおも2死一、二塁で、山本功児が中前安打を放つ。
二塁走者・土井正三が本塁にスライディングし、タイミング的にはセーフに見えたが、柏木敏夫球審はアウトを宣告した。土井は怒ってセーフをアピールし、長嶋茂雄監督がベンチを飛び出して執拗に抗議すると、観衆もエキサイト。三塁ベンチの上からグラウンドに飛び降りた男性ファンが鉄の棒を手にして長嶋監督に襲いかかり、一塁側スタンドからも呼応するように約30人のファンが乱入した。
直後、張本、柴田勲らが長嶋監督を守るために小突くなど応戦した際に、男性ファンが鼻血を出したことから、「あれほどまでしなくても」と観衆もさらにヒートアップした。
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