「権力の祭典、万博を潰せ!」55年前の大阪万博で「太陽の塔」に籠城1週間 「赤軍」ヘルメットの青年はどうなったのか
「僕がやるしかないと思った」
旭川に戻った佐藤さんは、この事件について何度かメディアで語っている。1996年、51歳のとき受けた北海道新聞のインタビューでは、当時の心境をこう明かした。
「学生でも労働者でもない。地位、身分がないのは僕だけ。僕がやるしかないと思った」(北海道新聞 1996年3月5日夕刊)
太陽の塔は高さ70メートル、目玉の部分は62メートル。記事によれば、職員用のらせん階段を使って上り、途中で1カ所の鍵を壊した。警備はかなり手薄だったという。目の部分に到着したのは午後5時すぎで、第一声は「権力の祭典、万博を潰せ!」。塔の上では説得に来た人物から受け取った水だけで過ごしたため、トイレを探す必要はなかった。籠城をやめた理由は寒さ、旭川に戻った理由は父の体調だったという。
2003年には、現代美術家・ヤノベケンジ氏によるドキュメンタリー「誇大妄想の都へ~ヤノベケンジEXPO'03~」(MBS「映像25」・2003年8月17日放送)に出演した。出演時間は長くないものの、毎朝7時頃になると万博に出展していたソ連館の職員が塔の下に来て、挨拶のようなものを叫んでいたいうエピソードなどが語られている。
「僕から見れば、あんなのは偽善の塊みたいなものだったね。要するにさ、国家権力と大企業の見栄の張り合いであってね、あんなところに『進歩と調和』なんかあるわけないと僕は思うね」(「誇大妄想の都へ~ヤノベケンジEXPO'03~」より)
事件から55年、混乱が続く世界情勢を受け、大阪万博の警備には全国から派遣された警察官を含む約1万人を動員。日本で開催される万博では過去最大となった。






