昭和の野球ファンが起こした「大暴動」 ビール瓶を投げつけ選手が“大流血”、相手チームを球場に閉じ込め機動隊が出動

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「こんな危険なところで、野球ができるか」

 阪本は頭から顔、首筋にかけて真っ赤な鮮血に染まり、騒ぎを止めようと駆けつけた捕手・岡村浩二と一塁手・大杉勝男もファンともみ合いになった。

 三塁側では20人の球場職員と富坂署の警官20人が警備していたが、暴走するファンの前にはなすすべもなし。このような騒ぎを防止するため、缶・瓶類の球場持ち込みは禁止されていたが、入場時の所持品チェックがない時代とあって、太平洋ファンが陣取る三塁側フェンスの近くには、投げる目的で持ち込んだ瓶や缶が常に用意されていたというから、物騒このうえない。

 試合中に選手がファンに負傷させられるというあってはならない事態に、中西太監督は「こんな危険なところで、野球ができるか」と全員をベンチに引き揚げさせ、試合は7分中断した。稲尾監督も「熱狂的な応援はありがたいが、プレーを妨害したり、物をグラウンドに投げて選手に危害を加えるようなことは、やめてほしい。もっとみんなが野球を楽しく見られるような応援を願いたい」と要望し、「阪本はぶつけられたのだから、怒るのは仕方ない」と同情的だった。一方、阪本は近くの病院に搬送されたが、頭部に約3センチの裂傷を負って2針縫い、全治10日と診断された。

「パ・リーグは野球と喧嘩を取り違えている」

 太平洋ファンは前年6月1日のロッテ戦(平和台)でも、試合後に約1000人が「金田(正一監督)、帰さんぞ」と叫びながら、球場正面を封鎖してロッテナインを1時間半にわたって球場内に閉じ込めたことから、機動隊が出動する騒ぎになった。

 阪本の事件が起きる11日前の74年4月27日の同一カード(川崎)でも、本塁タッチプレーをめぐるトラブルから乱闘となり、金田監督と太平洋の外野手・ビュフォードが退場になるなど、“遺恨試合”の興奮状態がまだ続いているさなかだった。

 さらに事件の前日、5月7日の日本ハム対太平洋戦でも、太平洋の一塁手で4番を打つ竹之内雅史がけん制の際に帰塁した一塁走者に足をスパイクされ、全治10日のケガを負っていた(翌日の試合は欠場)。これも伏線となり、太平洋ファンをより過激な行動に駆り立てたとみられるが、ビール瓶を投げつけて、選手にケガを負わせるのは、明らかにやり過ぎだ。

 かつて太平洋の前身・西鉄時代に監督として黄金時代を築いた日本ハム・三原脩球団社長も「まったく迷惑なことです。パ・リーグは野球と喧嘩を取り違えている。それに一部の熱狂的なファンが煽動して、善良なファンの観戦を妨害し、球場を我が物顔で蹂躙するのは許せません」と古巣のファンの暴走に警鐘を鳴らした。

 だが、過激なのはパ・リーグだけではなかった。

 2日後の5月10日の中日対巨人(中日)でも、7対16の大敗に怒った中日ファンが試合後、巨人ナインの移動バスを取り囲んで投石。窓ガラスが大破するなどの被害が出た。

 投石や瓶を投げるなどの行為は絶対に許されないが、民意に沿わない政策や後手後手対応の失政に対して、正面切って怒りを爆発させることが少ない今の日本人は、50年前に比べてだいぶ温厚になったようにも感じられる。

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 第2回記事、〈“カープ女子”は知らない「昭和の広島ファン」が起こした“暴動事件” 巨人ナインを襲撃した1976年の「酷すぎる仕打ち」を振り返る〉は5月4日(日)に配信します。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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