昭和の野球ファンが起こした「大暴動」 ビール瓶を投げつけ選手が“大流血”、相手チームを球場に閉じ込め機動隊が出動
プロ野球シーズンもたけなわ。試合に負けた腹いせに心ないファンが投げたゴミ袋が別のファンの頭を直撃するなど、近年でも一部のマナーの悪いファンによる球場トラブルがあとを絶たない。だが、かつての野球ファンは、もっと過激で狂暴だった。昭和から平成にかけて試合中や試合後に多数のファンが暴徒と化して起こした“黒歴史”とも言うべき騒動を5回にわたって紹介する。
(全5回の第1回)
***
【写真を見る】何人わかる? プロ野球監督別リーグ優勝回数BEST10ランキング
ビール瓶が頭部に直撃し血だらけに
試合中にスタンドから投げられたビール瓶が三塁手の頭部に当たり、流血の惨事となったのが、1974年5月8日の日本ハム対太平洋(後楽園)である。
事件が起きたのは、1対0とリードした太平洋の7回表の攻撃中だった。先頭の宮寺勝利がカウント1-2から渡辺秀武の内角球を道仏訓球審にストライクと判定され、見逃し三振に倒れたことがきっかけだった。
判定に納得できない宮寺は、怒りをあらわにして道仏球審に食ってかかる。稲尾和久監督もベンチを飛び出し、「何であれがストライクか!」と激しく抗議した。
太平洋ファンで埋め尽くされた三塁側スタンドも狂騒状態となり、興奮してグラウンドに酒瓶などを投げつける者が相次いだ。そのうちのひとつ、ワンカップの酒瓶が三塁を守っていた阪本敏三の体をかすめたことが、さらなる騒動を誘発する。
間一髪身をかわし、直撃を免れた阪本だったが、「そいつの顔を見たものだから」と、怒り心頭でスタンドの“犯人”を指差しながら「一人で降りて来い!」と叫び、グラウンドとスタンドの境界線のネットをよじ登ろうとした。
1961年6月3日の阪急対近鉄(西宮)では、阪急ファンから「ヤンキー・ゴー・ホーム!」とヤジられた近鉄の二塁手・ブルームが内野の金網を乗り越え、スタンドのファンに殴りかかる事件があった。
64年7月12日の大洋対巨人(川崎)でも、ファンの投瓶行為に怒った大洋の左翼手・長田幸雄が外野フェンスを乗り越えて退場処分になるなど、昭和のプロ野球は、心ないファンの言動に怒った選手がスタンドに突入する騒動も一度ならず起きていた。
だが、阪本の怒りに任せた行動は、火に油を注ぐ結果となる。指差されたのとは別のファン数人が呼応して、金網越しにグラウンドに飛び降りてきた。さらに彼らに加担する数十人のファンも一斉に阪本目がけて缶や瓶を投げつけてきたからたまらない。飛び降りてきたファンとつかみ合いをしている阪本の右後方からビール瓶が飛来し、頭部に当たってしまう。
[1/2ページ]