“死刑囚の母”から“後妻業の妻”まで…「大竹しのぶ」大女優の原点は幼い頃に聞かされた「可愛らしさを忘れずにね」だった
「この道」
大竹の映画デビューは「青春の門」(75年)。主人公の信介の恋人で、おぼこくて感情ほとばしる織江を演じて高く評価された。その後さんまと結婚するきっかけになったドラマ「男女7人夏物語」など、数々のドラマ、映画、舞台に恵まれた。
野田との別離後は女優として吹っ切れた面もあったのか、ドラマで死刑囚・永山則夫の母や逃亡犯・福田和子を演じ、魔性の女、芸達者、怪優ぶりに磨きがかかった。そんなダーク路線の後年の話題作といえば、16年の「後妻業の女」。この時、公開前のインタビューでこう答えた。
「善良な天使みたいな人を演じるのも喜びですが、アクティブに喜べるのは天使とは真逆のタイプかな」(日刊ゲンダイ16年8月16日付)
「後妻業の女」では、女優・大竹が全開だった。
一方で、8年前の2017年に舞台「欲望という名の電車」の上演を前に、話を聞くことができたのは、彼女の生い立ちと父親とのエピソードだった。
「♪この道はいつかきた道 ああそうだよ」
仕事の関係で死に目には会えなかったが、父親の元に駆けつける時に思わず口ずさんでいたのはいつも一緒に歌った北原白秋作詞の「この道」だった。
大竹は兄、4人姉妹の4番目として東京・品川で生まれた。父親は大学の工科を出て電力会社に勤務していたが、結核を患い、療養も兼ね、埼玉・入間市の高校教師に転じて、一家も埼玉に引っ越した。そこは武蔵野の山々に囲まれ、川が流れ、夏になると蛍が飛び交う、色とりどりの自然があった。
父親は時々、大竹を自転車に乗せて学校に連れて行き、いろんな話をしてくれた。
「父と一緒に過ごしたあの時が、人生の中でも豊かな時間だった」
「可愛らしさを忘れずにね」
父親は入退院を繰り返し、母親が働いて家計を支え、生活保護を受けるほど困窮していた時期もあった。ステレオを買う余裕はなく、音楽はラジオで聴いた。清貧で「1日20分は本を読みなさい」が口癖だった父親が例えば、ラジオから流れてくるベートーベンの「田園」について解説すると、イメージが膨らみ、貧しくても豊かな気持ちになれたという。
家族団欒ではきょうだいで「♪春のうららの~」の「花」を二部合唱で歌ったりすることもあった。
作品では激しい女を演じ、ステージではエディット・ピアフの「愛の讃歌」を歌う大竹の意外な一面だ。
父親からいつも聞かされた言葉がある。
「可愛らしさを忘れずにね」
そして、父の今わの際で歌っていた「この道」。武蔵野の自然の中で素朴な少女時代に歌った童謡を歌うと、当時のピュアな気持ちに引き戻される。父の「遺言」ともいえる童謡を歌う姿が女優・大竹しのぶの原点だとしたら……。魔性とのギャップが鮮やかに浮かび上がってくる。





