“死刑囚の母”から“後妻業の妻”まで…「大竹しのぶ」大女優の原点は幼い頃に聞かされた「可愛らしさを忘れずにね」だった
コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第14回は映画、ドラマ、舞台と数多くの代表作を持つ「魔性の女優」、大竹しのぶさんが峯田さんに語った秘話です。
【写真で見る】あっという間に心を奪われる……「天性の女優」と「お笑い怪獣」のDNAを受け継いだのは
心を鷲掴みに――
大竹しのぶ(67)の魅力は二面性に尽きる。
筆者が最初に女優・大竹に対し、印象的な記憶が残ったのは1992年だった。
大竹はその年の9月に明石家さんま(69)と離婚したが、当時、話題になっていたのが劇作家・演出家にして俳優の野田秀樹(69)との交際だった。口の悪い言い方をすれば、大竹はお笑いの巨匠の次に演劇の巨匠を篭絡した女優、ということになる。
少女の面影を残しながら、計り知れない魅力、魔力を放つ個性派。一体、素顔はどんな人なのか、さんまと野田は大竹のどこに魅かれたのか……そんなテーマで原稿を書けと言われ、大竹を知る芸能関係者に話を聞き、こんな内容になった。
大竹は、気がある男性がいると相手の太腿に軽く手を当て、あのキラキラした目で下から何かを訴えるように見つめる。そのしぐさに男はアッという間に心を奪われ、鷲掴みにされる……。
記事発売当日、編集局長がやって来た。いきなり「この原稿、誰が書いたの?」。てっきり「嘘ばっかり書くなよ」と怒られるのかと思った。ところが、芸能通の局長は大竹のことを親しい関係者から聞いていたらしく、「これ、その通りらしいよ」と言われ、ホッとしたことを今も覚えている。
当時、芸能人の稼ぎ頭は長者番付で連続トップに君臨していた三田佳子(83)だった。芸能担当なので、もちろん自宅をマークする。世田谷区内にある三田邸は、溜め息しか出ないほど噂に違わぬ大豪邸だった。その時、ついでに近所にあると聞いていた大竹しのぶの自宅も探したら、すぐに見つかった。なんと大竹の家は三田家の目と鼻の先にあった。こんな近くに大女優の家が二軒もあるとは。ビックリだった。
98年、三田の次男が覚醒剤で逮捕された。その時に編集部から連絡があり、自宅を訊かれ、三田の家の住所を教え、「すぐ近くに大竹の家もあるから」と付け加えた。
当時の大竹は、野田との同居を解消する前だった。一緒に住んでいたのは実母、最初の夫でTBSの有名ディレクターだった服部晴治との間の長男・二千翔、さんまとの間の長女・いまる(IMARU)、同居人の野田の5人。「ドラマのような家族構成」と書いた記憶もある。
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