過酷すぎる「バス旅」であわや、蛭子さんと“ラブホ泊” 「まるで修行みたいな現場でした」
「取り残された」感覚なし
――周囲の変化で、何か思うところはありましたか。
うーん、業界の仕事をしている友達の中には、独身の子の方が多かったんですよ。だから、あまり「取り残された」みたいな感覚はなかったですね。
――仕事面ではどのような活動が中心でしたか。
幅広くお仕事をさせていただきながら、自然体で過ごしていたと思います。時々、「ぷんぷん」もしてみたり(笑)。
――40代で特に思い出に残っている仕事はありますか。
テレビ東京系「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組が印象に残っています。太川陽介さんと、蛭子さんと一緒にロケしたんですが、本当に辛かったんです。
――辛かった、というのはどういう点ですか。
暑い中、リアルに何十キロも歩いたりしました。蛭子さんがもうおじいちゃんみたいな年齢なのに、自分にペットボトルの水をジャバジャバかけながら歩いているんですよ。それ見て、「私も頑張んなきゃ」って思いましたね。
――カメラマンさんたちも過酷だったのでは。
はい。重いカメラを担いで、汗だくになって一緒に歩いてくれて。スタッフもキャストも、まるで修行みたいな現場でしたけど、終わったあとには「ああ、楽しかったな」と思える仕事でした。
――それは通常のロケとは違うスタイルだったのですか。
はい、台本もスケジュールもなくて、泊まる場所すら決まっていない、完全な“ぶっつけ本番旅”だったんです。4日間で、初日の宿も決まっていなくて……。たしか山形で花笠まつりがあった時期で、どこもホテルが満室だったんですよ。
――宿が見つからなかったときは、どうされたのですか。
「もう野宿かも……」とか、「ラブホなら空いているかもしれない」とか、そんな話が出ていました。でも、その後、奇跡的に数軒目で3部屋空いていたので、なんとか泊まれたんですけど、あの時は本当に焦りました。
――もし、宿が見つからなければ、蛭子さんとラブホテルに泊まることになったかもしれませんね。
そうなんです(笑)。「まさかそんな展開になるとは!」って感じでしたけど、野宿になる可能性も十分にありました。テントとかも想定されていたかもしれませんね。
――過酷なロケです。
本当にそうでした。いろんなことが大変だったけど、振り返ると一番思い出に残る仕事かもしれません。
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第5回【「ぶりっ子しているつもりは全然なかった」 「ぷんぷん」誕生の舞台裏と「女が嫌いな女」1位の心境】では、自身のぶりっ子キャラについて語っている。
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