「戦後80年」平和の使者として期待される「愛子さま」 101歳で他界された「女性皇族」が“反戦への思い”のルーツに

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反戦の誓いと“秘話”

 百合子さまは昭和天皇の末弟に当たる三笠宮さまの妃(妻)。三笠宮さまは2016年10月に100歳で亡くなられ、百合子さまも昨年11月、101歳で他界された。

 三笠宮さまは先の大戦で支那派遣軍参謀として南京に赴かれ、終戦時は陸軍少佐となっていた。百合子さまは真珠湾攻撃直前の1941(昭和16)年10月にご結婚。戦況が激しくなる中で新婚生活を送られ、三笠宮さまの南京赴任中は空襲に耐える日々を過ごすなど宮邸を一人で守られた。三笠宮さまは戦後、東大の研究生となって歴史学者の道を歩まれ、オリエント史の研究では皇族として初めて大学の教壇にも立つなど学者肌の一面を見せられた。

 戦地で目の当たりにした悲惨な光景と戦史を踏まえ、反戦を客観的視点から強く唱えられたのが三笠宮さまだった。戦争を最も憎み、平和を強く望まれた稀有な皇族を夫に持つ百合子さまが、同じように戦争を憎み平和を希求されたのは当然の結果だった。

 戦争について造詣を深めていかれる中で同性の百合子さまのご生涯に愛子さまが共感を覚えられたのは必然のこと。宮内庁OBはこう指摘する。

「もちろん祖母の美智子上皇后から受け継がれた平和への想いもお強い。ただ終戦時に小学生だった美智子さまと、家庭を守り戦地に赴いた三笠宮さまの支えとなられた百合子さまとはご境遇が全く異なります。女性皇族の“生きざま”という意味で、平和へのご姿勢が愛子さまに与えた影響は小さくはないのです」

 雅子皇后のご体調がすぐれなかった頃、愛子さまと「一卵性母子」と揶揄する声もあった。愛子さまが保護犬に「ゆり」と名付けて愛犬にしたことを「百合子さまのお名前が呼び捨てにされる」との批判がネットに書き込まれたこともあった。だが同OBは、

「これはまさに言い掛かりで、百合子さまは全く意に介しておられなかったとお聞きしています」

 と、秘話を明かす。百合子さまのご逝去から100日目の2月22日、都内の豊島岡墓地で「墓所百日祭の儀」が営まれ、愛子さまも参列された。同OBは「戦後80年の夏を前に、愛子さまも墓前でさまざまな想いをめぐらされたのではないでしょうか」と感慨深げに述べた。

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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