すでに“50万人”以上が犠牲に…いまアメリカを襲う“史上最悪の麻薬危機” フェンタニルが全米を席巻するまでの麻薬汚染の実態とは

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“クラック危機”の発生

 さて、80年代半ばに入ると、誰が考えたのか“クラック”と呼ばれる“フリーベース”(フリーベースコカイン/遊離コカイン/メチルベンゾイルエクゴニン)”がマイアミに登場する。加熱するとパチパチと音がすることや、ひび割れが生じることから「クラック=crack」と呼ばれるようになったのだが……。このクラックがあっという間に米全土を汚染し、様々な問題を誘発することになる。

 フリーベースコカインとはコカイン塩酸塩(一般に出回っているコカイン)からコカインを遊離した(塩酸を切り離した)コカインのことで、コカイン塩酸塩に重曹(炭酸水素ナトリウム)と溶媒を加えて反応させればすぐに出来上がる。やや黄味がかった石鹸状の結晶なので、その見た目からロック(rock/石)と呼ばれることもある。

 フリーベースにすると、容易に燃焼可能で効果も増強され、そして何よりも驚くほど速効性が増す。ガラスパイプに詰めてライターの火で炙り、立ち上る白煙を吸うと数秒で効果が表れるという。「吸った瞬間、ドカーンと脳天に突き上げてくる、すげえ!」と供述した日本人使用者もいた。その反面、作用時間が極めて短く20~30分で消滅する(※通常のコカインは約1時間、覚醒剤やオピオイドでは4~5時間は効果が続く)。だから「またやる」。立て続けに吸煙するのだ。

 無論のこと、摂取回数が増えるほど、依存や中毒に陥りやすくなる。そして、過剰摂取で死亡する可能性も高まっていく。当時のNIDS(National Institute on Drug Abuse)など国立機関の調査によれば、84年のコカインの急性中毒による救急搬送者は8831人を数えた。それが4年後の88年には4万6020人にまで激増。80年に6094人だった死亡者も、92年には1万604人まで急増している(ちなみに、2022年のオピオイド関連死者数は10万7941人とされる。フェンタニルなどの蔓延が、前例のない異常事態だということが改めて理解できる)。

 このクラック危機は、ギャング団の乱立や抗争・殺人、妊婦や胎児への影響など多くの爪痕を残すことになるが、ここではあえて詳報しない。とにかく、官民挙げてのクラック撲滅が進み、90年代に入ると急速に鎮静化を迎える。コロンビア政府もアメリカの支援を得てコカイン撲滅作戦を展開し、メデジン・カルテルやカリ・カルテルといった犯罪組織を壊滅させた。

 だが、それでもアメリカでコカインの乱用が収束することはなかった。新たな供給源が登場したからだ。第2回【薬物汚染に陥ったアメリカで暗躍する「メキシコ・カルテル」という黒幕 「1錠で命を奪う」悪魔の錠剤が蔓延するまで】では、メキシコの麻薬カルテルの暗躍ぶりを詳報している。

瀬戸晴海(せと はるうみ)
元厚生労働省麻薬取締部部長。1956年、福岡県生まれ。明治薬科大学薬学部卒。80年に厚生省麻薬取締官事務所(当時)に採用。九州部長などを歴任し、2014年に関東信越厚生局麻薬取締部部長に就任。18年3月に退官。現在は、国際麻薬情報フォーラムで薬物問題の調査研究に従事している。著書に『マトリ 厚生労働省麻薬取締官』、『スマホで薬物を買う子どもたち』(ともに新潮新書)、『ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図』(講談社+α新書)など。

デイリー新潮編集部

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