「人を殺すと眠くなるんですよ」…市川一家四人殺害事件を起こした“19歳少年”が死刑確定後に「120キロ」まで太った身勝手すぎる理由
「気分転換」
千葉県市川市の江戸川河口近くに建つ分譲マンションの一室に、その男が忍び込んだのは1992年3月5日の夕刻。三世帯5人家族が住んでいたその部屋で、男は一晩のうちに4歳の女児を含む4名を殺害した。ひとり生き残った15歳の少女は殺害を目の当たりにした上、家族の遺体が横たわる傍らで、男に「気分転換」と称して性的暴行を受けた……。
83歳の祖母は電気コードで首を絞められ、36歳の母は背中を包丁でめった突きにされていた。犯行の最中に仕事から帰宅した42歳の父は、背後から肩を刺されたのち、とどめに背中を突き刺されている。そして、異変を感じ取った4歳の妹は未明に背中から胸を深々とえぐられ絶命している。
見ず知らずの家族4名を殺害したのは、事件当時19歳だった関光彦(てるひこ)。2017年12月、44歳のとき、死刑が執行されている。彼が起こした「市川一家四人殺害事件」を取材し、東京拘置所で幾度も本人と面会してきたのが、作家・永瀬隼介氏だ。永瀬氏が関とのやり取りを克明に記し、最高裁判決(死刑確定)までを描いたノンフィクションに、死刑確定後のエピソードと死刑執行までを加筆した『19歳 一家四人惨殺犯の告白 ―完結版―』が、この4月に光文社から出版された。永瀬氏に、面会室のアクリル板越しに見つめてきた関光彦について聞く。【高橋ユキ/ノンフィクションライター】
〈全2回の第1回〉
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暴力団の追い込み
「関光彦は01年に死刑が確定しましたが、その後、再審請求をしたり、絞首刑の回避を目論んで、たくさん食べて肥満化したりしていたんです。身長180センチと、もともと大柄でしたが、一時は体重も120キロを超えていました。私はどうしても関の死刑執行までを取材して書きたいと思っていて、その部分を加筆した上で今回の文庫化に至りました。死刑執行後、こうしたエピソードをウェブ媒体に執筆したところ、反響が大きかったことも文庫化の足掛かりとなったんです」(永瀬氏。以下同)
そう語る永瀬氏が「市川一家四人殺害事件」を取材・執筆を手がけたノンフィクション『19歳』は、そもそも00年に新潮社から単行本が出版された。これは18年に休刊となった月刊誌「新潮45」に掲載された記事が元となっている。その後、04年に角川書店から文庫化。さらに20年以上の時を経て、今年4月に再文庫化されたわけである。
事件の当日、関光彦は追い込まれていた。19歳になって1週間後の92年2月、フィリピンパブで遊び、その後、ホステスを連れ出したことが原因だった。店に無断でホステスを自宅アパートに二晩泊めたことで騒動となり、店の関係者が暴力団に“落とし前”をつけてほしいと依頼する。関は暴力団組長から呼び出しを受け、東京・赤坂の全日空ホテルで脅された結果、200万円を支払う約束をしたのだ。
生徒手帳から住所を控えて
以降、関の行動は無軌道そのものだった。二晩続けて見ず知らずの女性に性的暴行を加え、あおり運転に激昂した末に運転していた男を引きずり出し、血まみれになるまで暴力を振るった。男に金を用意させようとしたが、うまくいかなかった。
一家殺害事件でひとり生き残った15歳少女は、その性的暴行の被害者のひとりである。生徒手帳から住所と名前を控え、金目当てでマンションに侵入したのだった。
永瀬氏は当時、関係者への取材を続け、関と東京拘置所で面会し、書籍『19歳』をまとめた。拘置所の面会室で会った関の印象を「あのような凶悪な事件を起こしていますが、実際に会うと本当に穏やかな好青年でした」と振り返る。「当時はそれほど一般的ではなかった」という東京拘置所での面会取材を続けながら永瀬氏は、たびたび関に書籍を差し入れた。特に好んだ作家は花村萬月だった。
「面会ではよく本の話もして、実際に何冊も差し入れました。それまで彼は競馬新聞しか読んでいなかったため、読書によって世界が広がったのではないかと思っています。花村萬月さんの書籍を読んだ時にはこう言ってました。“人を殺すと、こんな感じなんですよ。眠くなるんですよ”と」
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