「仲本をオレんとこによこせや」 ドリフ「仲本工事さん」が感激…“稀代の名優”が口にした「人生で一番の言葉」

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本番で熟睡

 話を聞いて、ドリフは日本芸能史のまさに1ページだな――そう思ったのは、1966年のザ・ビートルズの来日公演だ。

 ドリフが前座で「のっぽのサリー」を歌ったのだが、ボーカルは仲本。面白かったのはグループ名を紹介された時のエピソードだった。

 司会者のE・H・エリックが「ザ」と言葉を発したら、会場にいたファンはビートルズと勘違いし、ギャーと大歓声があがったという。この時のことを仲本はこう語った。

「仕事の一環で歌ったくらいの感覚だったけど、折に触れてあの時の映像が流れる。やってよかった」

 仲本の一番の失敗は「ドリフ大爆笑」(フジテレビ系)のコントにおける「棺事件」。亡くなった仲本の葬儀に、見ず知らずの弔問客(実際は葬式荒らし)がやって来る。いかりや長介(享年72)扮する女房が「あなた、~さんが来てくれたわよ」と棺を叩くと、「ワシはそんな奴知らんぞ」と、棺の中から仲本が出てオチ、という設定だった。

 ところが、スタジオの中がポカポカと暖かったため、本番中に仲本はいびきをかいて寝てしまった。呼びかけに応じず、いかりやも「本当に寝ちゃったよ」と呆れ、撮り直しに。しかし、寝ていた方が面白いと、そちらがオンエアになった。

 荒井注(享年71)は、「鉢巻き事件」。音響用の板に頭をぶつけて額を切ってしまったのだが、いつもの荒井の鉢巻きに血がにじんで日の丸のようになったという。

 高木ブー(92)はアキレス腱事件。トランポリンの体操コーナーで準備運動をしてから乗るように言ったのに、いきなりやってブチッとアキレス腱が切れてしまった。

「全員集合」では有名な停電事件もあった。本番開始寸前に、会場が真っ暗になった。喜んだのは加藤茶で懐中電灯を手にしてステージを走り回った。こういう時に一番オロオロするのはリーダーのいかりやで、「どうする、どうする」とバタバタしていたという。

 意外や、口が重かったのは途中から加入した志村けん(享年70)について。

 荒井が途中で抜け、ドリフを4人でやるかどうか、いかりやは悩み、結果、志村が入ることになった。だがそうなると、それまで一番年下の加藤まで年齢差が15歳だったのが20歳近くに広がり、メンバーのバランスが狂うのを危惧したとか。

 結局、志村が入って荒井がやめるまでの一時期は、6人構成だったが、その頃の志村はメンバーに溶け込めなかったという。しっくりくるようになったのは2、3年後に「東村山音頭」を歌ってヒットし、吹っ切れてからだったそうだ。

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