「全員集合」の牙城に「ひょうきん族」が殴り込み…フジとTBSが火花を散らした仁義なき「土8戦争」を振り返る

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「ひょうきん族」が貫いたもの

「ひょうきん族」でディレクターをつとめた三宅恵介氏は、著書『ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です』(新潮社刊)の中で、「全員集合」に挑むにあたり、まったく逆の笑いを目指したことを明かしている。

 たとえば「全員集合」が臨場感たっぷりの公開生放送であるなら、「ひょうきん」はVTR収録で時間をたっぷりかけて作り込む。視聴者層はドリフが小学校低学年から中高年男性までと幅広いのに対し、小学校高学年からできれば「ヤングミセス」も取り込むことを意識した。「テレビを観る女性を味方につければ、視聴率に絶対つながるはずだ」という発想からだという。さらに、

〈笑いの取り方は、オチに向かった計算された笑いがドリフの真骨頂です。何度も何度もリハを重ね、その通りに本番でも演じる。プロの仕事です。それに対して、同じプロでも、こちらはアドリブやハプニングも生かした、ドキュメントの笑いで行こうじゃないか。そして一番大事な演者さんの生かし方。見事なチームプレーで笑いを確立させているドリフに対抗するには(略)それぞれのキャラクターを生かした、いわば、徹底した個人プレーで対抗しよう〉(前掲書より)

「タケちゃんマン」「ひょうきんベストテン」「西川のりおとフラワーダンシングチーム」……数々のヒット企画・コーナーを生んだ「ひょうきん族」では、演者が収録時のNGを自己申告する「ひょうきん懺悔室」もあり、当時の日枝久編成局長も水をかけられるという、今では考えられない演出の数々だった。

 そして1983年1月22日放送で「ひょうきん族」の視聴率は23.6%。「全員集合」の19.9%を上回り、王座を奪還する。その後も、両番組合計で50%近い視聴率をはじき出し、土曜8時を盛り上げた。

「全員集合」は約16年続いたが(85年9月終了)、「ひょうきん」は8年で幕を閉じた(89年10月)。「ひょうきん」に負けていられないと、TBSが「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で巻き返してきたからだ。

 視聴者を笑わせる裏側では、寝る暇を惜しんで企画を練り、演者と打ち合わせを重ね、1%でも多く視聴率をとるための戦いが続けられていた昭和の時代――今、窮地に陥っているフジを蘇らせる強力なコンテンツが出てくるのか、期待したい。

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