「今になって思えば僕の運命にまで大きな影響を与えた」 横尾忠則が「夢を粗末にできない」と思った体験とは?

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 僕がグラフィックデザイナーに転向して10年が経った1990年のある日から突然、毎晩のように滝の夢を見るようになりました。切掛けなどありません。夢の中でただ滝を見物しているだけです。垂直に落下する滝だったり、ナイアガラ瀑布のような巨大な滝だったり、滝が凍結して、その氷が骸骨になっているというような夢です。

 そして、夢の中での僕は滝を描く画家らしく、世界中から滝を描く画家が招待されているというグループ展を観に行くのですが、どうして滝をこんなに沢山描いている僕がこの展覧会に招待されてないのか、とがっかりしている夢を見るのです。

 この時点で現実の僕は滝の絵など一点も描いていません。こんな夢を連続的に見せられた僕は、滝には特別興味もないのに、夢という無意識に触発されて、その後、滝の絵を何年にもわたって描くことになるのです。

 単純な僕は、この滝の夢を啓示だと思って描き始めました。滝は日本画のモチーフであって、僕のような現代美術では滝などモチーフにしません。われながらミスマッチなモチーフだなと思いましたが、僕の内から湧き上ってくる不思議な衝動に従がって描いていました。

 滝の絵を描くために、北斎みたいに旅をしながら滝巡りなどは面倒臭くてしません。滝のある観光地から取り寄せた絵葉書を見て描き始めました。僕は原物を見て描くよりも、絵葉書のように印刷され、大衆化されてレディメード(既製品)になったものに興味があったのです。

 アンディ・ウォーホルは人物画などを描きますが、その資料は全て写真だったり印刷されてメディア化されたレディメードです。僕もそうしたポップアートの思想に従がったわけです。そうすると原物の滝などには全く興味が湧かないのです。だから滝のある観光地に行っても滝を見物するより先きに、お土産売場に飛び込んで滝の絵葉書を買うのです。また滝の絵葉書は観光地以外では売っていないので、結局は滝のある観光地に出掛けることになって、実に高い買物になってしまいます。

 日本国内の滝だけではなく海外の滝の絵も描くためには、やっぱり海の向こうまで出掛けることになります。このようにして、ナイアガラの滝の絵葉書を集めるためにアメリカ、イグアスの滝の絵葉書を集めるためにブラジルとアルゼンチンにも行きました。

 旅ばかりしながら滝の絵葉書を集めているとお金と時間がいくらあっても足りません。そこでアメリカのメイン州のカムデンという小さい田舎町のアンティークショップと交渉して、全アメリカの滝のポストカードを全部集めてもらうことにしました。その結果、1万600枚集まりました。

 本当はこんなに必要ありません。絵のモチーフにするには100枚で充分ですが、カムデンのアンティークショップに頼んだ結果が膨大な滝の絵葉書のコレクションになってしまったのです。それでも次から次へと送くられてくる絵葉書をストップするわけにはいかない。何しろ相手は相当の高齢化したおばあちゃんです。嬉々としてアメリカ全土から集めてくれているのだから、ストップさせるわけにはいかなくなってしまったのです。

 ところが1年以上経った頃から突然、葉書が送くられてこなくなったのです。僕の想像では相当の高齢者のおばあちゃんですから、物凄い商売(実際は一度に何十万と支出しました。全部で何百万も払ったんじゃないでしょうか)になって、大喜びして、そのショックで亡くなったんではないかと、僕は今も本気でそう思っています。

 と、いうわけで、僕は数年間にわたり滝をモチーフにした作品を夢のお告げと信じて描き続けました。夢の予言通り、海外でも滝の絵を発表することができました。

 しかし、余ったのは膨大な滝の絵葉書のコレクションです。そこで、この絵葉書も陽の目を見せて、供養をする必要があると判断した僕は、これも内外各地で絵葉書のインスタレーション(展示空間全体を含めた芸術表現)として、発表しました。

 絵葉書を発表するという計画は最初からなく、絵のモチーフにするために絵葉書を集めたに過ぎないのが、むしろこの絵葉書のインスタレーションの方が主流になってしまった感があります。そういう意味ではアートは魔物みたいなところがあります。

 35年前に見た滝の夢がその後、僕の絵と活動に貢献してくれました。あの時、単なる夢として通り過ぎてしまっていると、その後の僕の滝の絵も滝の絵葉書のインスタレーションもなかったわけです。

 あの時、単なる夢として終っていてもよかったのですが、今になって思えば僕の運命にまで大きい影響を与えた夢です。これから見る夢も粗末にできないなと思っています。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年4月10日号掲載

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