孤立した晩年、4畳半の部屋に閉じ込められて…アントニオ猪木が漏らした絶望の言葉

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4度の結婚

 プロレスラーのアントニオ猪木は、希代のエンターテイナーである一方、スキャンダルの宝庫でもあった。プライベートでは4度、結婚する。2度目の結婚の相手は、俳優の倍賞美津子で、娘も授かった。『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)の著者・猪木啓介氏(77)が当時を振り返る。(全6回の第5回)

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――お兄さんは22歳の時、アメリカ人女性ダイアナ・タックさんと1度目の結婚をしています。この時のことを教えてください。

 我々も、お袋もまだブラジルにいたんですけど、アメリカで武者修行をしていた兄貴から手紙が来て、「結婚しました」って。子どもができたということで、「文子」という名前をつけたという。「文子」はお袋の名前です。

――お母さんはどう受け止めていましたか。

 家族の中で一番ショックを受けていました。外国の方との結婚で、子どもができたことに驚いたようでした。

――その後、お兄さんは日本に来られたんですね。

 はい、日本に彼女を連れてきて、最初は(横浜の)野毛に住んでいたんです。僕も家に行ったことがあるのですが、家の中のものが全部アメリカのもの。冷蔵庫から洗濯機まで、全部ゼネラル・エレクトリックとかの製品でした。それなりにいい生活はしていたんでしょうけど、やっぱり当時、外国人が日本に慣れるのは難しかったと思います。

――28歳の時に女優の倍賞美津子さんと2度目の結婚をします。お兄さんにとって、最も相性の良かった奥さんでしょうか。

 そうだったと思います。僕も彼女とはすごく親しかったですし、よく一緒に食事をしたり、遊びに行ったりしていました。1度、僕が浮気したことがあって、その時は、兄貴に「この野郎」と押さえつけられまして……倍賞さんが電気バリカンで僕の髪の毛を切って、坊主にされてしまったんです。でも、恨んだりすることはなく、倍賞さんにはその後も親しみを感じていました。

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