異例のキャリアを歩む「元ヤクルトの左キラー」久古健太郎 大手コンサル勤務を経て「デジタル野球」に取り組む理由
社会の厳しさと孤独感を味わったコンサル勤務
「ひとまず野球とは違う道に進むことは決めていましたけど、『次にやりたいことを見つけるまでには時間がかかるだろうな』と思っていたので、まずは自分の出来ることを徐々に増やしていこうという思いで、就職先を探し始めました」
“次”に向けて動き出したある日、久古氏はたまたま目を通した書籍をきっかけにしてコンサルタントという職業を知ることに。
「汎用性の高いビジネススキルを高められる」ことに魅力を感じ、転職活動に臨んでみたものの……。登録した転職エージェントから紹介を受けたのは営業職の案件ばかり、そのハードルの高さを痛感することとなる。
「未経験の人材がいきなり入ることは難しいと思っていましたが、それでも自分の思いが伝えられていないことにもどかしさは感じましたね(苦笑)。結局は自分で企業のHPからエントリーして、前職への入社を決断することになりました」
大手コンサル企業・デロイトトーマツコンサルティングで新たなキャリアをスタートさせた久古氏は、企業のDX推進事業などに邁進したが、異例とも言えるキャリアチェンジにはさまざまな苦労が伴ったという。
目の前のことを愚直に
「プロ入り前に社会人野球も経験していましたが、当時は野球が中心の生活を送っていましたから、他の社員と同レベルでの仕事が求められる環境はこれまでとは全く異なりましたし、社会の厳しさを感じる場面もありました。その中で一番堪えたのは、僕と似たバックグラウンドを持つ方が周囲にいないこと。自分の悩みを理解してもらうことがなかなか難しい状況に置かれていたので、孤独を感じる場面も少なからずあったように思います」
だが久古氏は慣れない環境の中でも野球で培った「まずは目の前にあることを愚直にやる」姿勢を大切にしながらキャリアを磨き、ビジネススキルを高めていった。
そして、昨年1月にはライブリッツ(株)に転職し、久古氏は再び野球と向き合うこととなった。
「引退から早くも6年の月日が流れ、選手として過ごした8年に迫ろうとしています。自分が新たな挑戦を続けていくと、『元プロ野球選手』の経歴がさらに磨かれていくような感覚をたくさん味わいましたし、これまでのキャリアを掛け合わせることによって、自分の価値をどんどん高められるようになるんじゃないかと思っているので、これからも頑張っていきたいです」
今年2月には、「チームが苦しいときもいつも神宮球場を盛り上げてくれて、神宮球場を明るくしてくれる存在だった」という球団マスコット、つば九郎の担当スタッフの急逝も伝えられた。
「2017年の交流戦で、僕が柳田選手にサード線のボテボテの当たりでサヨナラ安打を打たれた翌日、ライン際のチェックしていたつば九郎が印象的でした。当時は悔しい思いでいっぱいでしたが、今となっては笑いに変えてもらったことで笑い話にすることができています。つば九郎がいない神宮球場は想像できませんし、本当に残念でなりません」と思い出を振り返る。
かつて中継ぎとして228試合に登板してチームを支えた左腕は、仲間への思いやプロ野球選手として過ごした日々への感謝を胸に、今も充実した日々を過ごしている(第2回に続く)。
第2回【ヤクルトのリーグ優勝を支えた左腕「久古健太郎」が語るセカンドキャリア 「逆算しながら考えると、今やるべきことが見えてきます」】では、久古健太郎氏が、選手時代の経験を振り返り、それが現在のキャリアにどのように生かされているのか、そしてこれから先の展望について語っている。