小出監督に声をかけられてから11年 “気持ちに火がつかなかった”「鈴木博美」を心変わりさせた出来事とは(小林信也)
「小学校4年の時、突如足が速くなりました。短距離も長距離も。けど、走るのはあまり好きではなかった」
2男の母親になった鈴木博美(現姓・伊東)が言う。
【写真を見る】「小学4年生の時、突然足が速くなった」という鈴木博美
「中学校でも陸上部に入る気はありませんでした。なのに、陸上部の先輩が毎日誘いに来てくれて」
ずっと断り続けると、
「次は先輩が同級生を連れて迎えに来ました。『うちの陸上部は楽しいよ、一緒に遊ぼうよ』、そう言われて」
断り切れず仮入部した。確かに鬼ごっこしたり、海を見に行ったり、少し走る程度の部活だった。
「2年生になったら全中出場選手を育てた中村秀道先生が来て、厳しい練習の日々が始まりました」
それからわずか3カ月後、博美は千葉県大会の女子800メートルで5位に入賞。記録は2分17秒3。全国中学体育大会に出場できた。が、
「秋になったら中村先生が『愛知の実家の寺を継ぐ』と学校を辞められたんです」
楽しい部活に戻って1年後、県大会に出場したが、前年より10秒近く遅くなり予選落ち。仕方がない。博美は真剣に陸上に打ち込む気などなかったのだ。
「レース後、ぼんやり歩いていたら、声をかけられたんです」
ジャージ姿の男性が、
「オレのこと知ってる?」
と言った。博美が「知りません」と答えると、
「市船の小出というんだけど」と彼は続けた。市立船橋高の陸上部監督、後に国民の大半が知るマラソン指導者となる小出義雄だった。
「去年はあんなにいい走りをしてたのに、どうしたの? 今度、中学校に会いに行くから」
言われて博美はただきょとんとした。
「何を言っているのか分からなかった。陸上を続ける気もなかったから、気にも留めなかった」
その出来事を忘れかけた頃、「すぐ校長室に来い」と呼び出された。行くと小出が座っていた。
「将来は保母さんになりたいとぼんやり考えていた。スポーツで高校に行く気はまったくなかった」(博美)
ところが、小出監督が市立船橋に誘ってくれた。一緒に全中に行った友人も市船に行く、これから市船の陸上部は強くなる、という手紙ももらった。
「そういう道もあるのかと意識し始めました」
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