「最下位予想」を覆して日本一になった球団も…「オープン戦最下位」からリーグ優勝を達成した“下剋上チーム列伝”
オープン戦の順位は当てにならないといわれる。昨年も“ア連覇”を狙う阪神がオープン戦で最下位になりながらも、「最もVに近い」という評価は下がらなかった。結果はシーズン1位の巨人に3.5ゲーム差の2位に終わったが、過去にはオープン戦最下位からリーグ優勝や日本一を達成したチームも存在する。【久保田龍雄/ライター】
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“いてまえ打線”で12球団最下位の防御率をカバー
まず前年まで2年連続リーグ最下位、オープン戦でも最下位だったのに、このどん底状態から一転、あっと驚くリーグ優勝を実現したのが、2001年の近鉄である。
同年の近鉄は、3月4日の日本ハム戦と同17日の巨人戦で14失点するなど、目を覆うばかりの“投壊”が続き、「あんなもんは野球じゃない」と梨田昌孝監督を呆れさせた。
オープン戦は12球団中12位の2勝9敗2分で、チームの総得点55に対し、総失点は99。“いてまえ打線”がどんなに点を取っても、焼け石に水のように思われた。
ところが、いざシーズンの蓋を開けてみると、3月24日の開幕戦、日本ハム戦で初回に5点を失いながら、3本塁打の一発攻勢で10対9と逆転勝ち。翌25日もオープン戦では結果を出せなかった前川勝彦が4安打1失点完投で、まさかの連勝スタート。
調子の波が激しく、5月前半過ぎまで20勝23敗1分と黒星先行も、同19日から引き分けを挟んで6連勝と上昇気流に乗り、前半戦を首位で折り返した。その後もダイエー、西武と三つ巴の争いを繰り広げた末、9月26日のオリックス戦で、北川博敏の「代打逆転満塁サヨナラ本塁打」により、劇的Vを決めた。
チーム防御率は12球団最下位の4.97ながら、チーム打率.280と211本塁打は12球団トップ。ローズが55本塁打、131打点、中村紀洋が46本塁打、132打点を記録するなど、典型的な打高投低型チームだったが、投手陣も新助っ人のバーグマンとパウエル、巨人から移籍の三沢興一ら補強組が“下剋上V”の一翼を担った。
オープン戦の時点ではチーム力に大きな不安を抱えていても、この年の近鉄のように「投手力を強化すれば、打線が生きる」と課題が明確なチームは、開幕後の補強いかんで大躍進も可能であることを示している。
ジリジリと阪神を追い上げ、ついには
オープン戦で最下位に沈みながら、球史に残る“メーク・レジェンドV”を達成したのが、2008年の巨人である。
前年に続いてリーグV2を目指した原巨人だったが、オープン戦終盤に入っても打線に元気がなく、3月18日の中日戦、同19日のヤクルト戦と2試合連続完封負け。12チーム中最下位の2勝10敗3分で全日程を終えた。
深刻な打撃不振に危機感を抱き、コーチと話し合った原辰徳監督は「(彼らは)桜と同時に花が咲くと言っていた。私としては、もう少し早いほうがいいかと思いますが、(開幕日の)3月28日には大丈夫だろう」と開幕後の打線爆発に期待をかけた。
ところが、その開幕戦でヤクルトに2対6と完敗すると、ズルズルと球団史上ワーストの開幕5連敗。打線も4番イ・スンヨプが振るわず、5試合計10得点と湿ったままだった。
4月3日の中日戦で、高橋由伸、亀井義行、小笠原道大の3連続本塁打で逆転し、シーズン初勝利を挙げたのもつかの間、その後も勝ったり負けたりを繰り返し、7月8日の時点で、首位・阪神に13ゲーム差をつけられた。
だが、夏場以降、若手の越智大佑、山口鉄也が連日中継ぎでフル回転し、継投策で守護神・クルーンにつなぐ“勝利の方程式”を確立すると、打線も高卒2年目の坂本勇人や“足のスペシャリスト”鈴木尚広がレギュラーに定着。新4番・ラミレスらの主軸も次第に調子を上げ、開幕から131試合目の9月21日に阪神と同率首位に。秋以降、失速する阪神を尻目に、10月10日に優勝を決めた。
毎年のようにFAなどで大型補強を繰り返し、12球団でもトップクラスの実力を誇る巨人だが、これらの実績組に加えて、オープン戦の時点では未知数だった若手を中心とする生え抜きの新戦力が急成長し、チームを活性化したことが、奇跡の逆転Vにつながったと言えそうだ。
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