「孤独」と言われた画家 パウル・クレーの交流と創作の実像を探る展覧会
ナチ党に弾圧され……
クレーが画家として名声を得ていったのは、第一次世界大戦中だった。皮肉なことに、仲間の画家たちが戦死してゆく中で、前衛画家として前面に押し出されていったのだった。皮肉な幸運はクレーに本領を発揮できる舞台を提供し、クレーは機会を捉えて躍進していった。やがてクレーはバウハウス(1919年にドイツのヴァイマルに設立され、工芸・写真・デザイン・美術・建築の総合的な教育を行った)の教員として招聘され、人生の中で最も充実し、安定した時期を過ごすことになる。
しかし、第一次世界大戦で敗戦したドイツの混乱の中で、ナチ党が台頭。ナチ党は、前衛芸術を「錯乱した精神の現れ」として弾圧していった。クレーもその対象となり、作品は没収され、家宅捜索され、職を失い、生まれ故郷のスイスに亡命して晩年を過ごすこととなった。政治的影響で作品の売れ行きが芳しくない上に、原因不明の病気に襲われたクレーは、その中でも数々の作品を生み出しながら、60歳で没した。過酷な状況下にあっても芸術家としての在り方を更新し続けた姿は、濃い余韻と共に私たちの時代に言葉以上のものを語りかける。
「答えは後世の人に」
黒田学芸員は言う。
「クレーは他の作家に比べると、研究者が非常に多いんです。研究しがいがあるんです。クレーはこまめに日記をつけていたので、研究する材料はたくさんあります。ですが、日記の中では作品が何を表現しているのか、という解釈はしていません。謎解きの部分をわざと残して、答えは後世の人にゆだねているんですね」
絵の前に立つと、いつの間にかクレーと対話をしているようで、気づけば自分も星座となって、クレーの周りをめぐり始めている。
愛知県美術館開催「パウル・クレー展 創造をめぐる星座」は3月16日まで。3月29日~5月25日には兵庫県立美術館、6月7日~8月3日には静岡市美術館に巡回予定。