「三里塚闘争」引き継ぐ“反対派”が今も成田空港に残る理由 「どちらが優れているか示したい」
成田空港に点在する“反対派”拠点
日本の空の玄関口・成田空港。旅客機の窓から外を眺めていると、空港内なのに鉄壁で囲まれた建物が見えることがある。1960年代から始まった「三里塚闘争」を引き継ぎ、今も頑張る反対派の拠点だ。
【写真をみる】成田空港にこんな場所が…! “反対派”が営む「売店」
1月24日、成田国際空港会社や国交省、千葉県と地元自治体でつくる4者協議会が開かれ、今年中に発着回数を年30万回から34万回へ増やすことで合意した。インバウンド需要に応じるための措置だが、2029年までに50万発着まで拡大するという。目下、現地では、新滑走路建設と現行のB滑走路の延伸計画が進んでいる。その一方でタイムスリップしたかのような空間が、空港のあちこちに点在するのは実に奇妙な光景だ。
現地で無農薬野菜を販売
「現在、空港内にある反対派の拠点は居住者が2世帯。活動家が時おり“管理”している鉄塔。そして『木の根ペンション』という建物などがあります。ペンションは、夏にライブをやったりしている。また、無農薬野菜を加工して現地でも売っている『三里塚物産』という会社もあります」(「成田空港 空と大地の歴史館」木藤賢治氏)
背景には、もちろん闘争の長い歴史がある。管制塔占拠事件や死者まで出した反対運動は「成田空港問題円卓会議」を経て、1995年に国が農家に謝罪、強制手段を用いないと約束することで一応の節目を迎えた。最近では、民事裁判で敗訴した農家が強制執行を受けたりもしているが、一方で、営々と拠点を守る住民・支援者もいる。
「どちらが優れているか示したい」
現地を訪れてみる。空港のターミナルからタクシーで約10分。狭くて暗いトンネルをくぐると、いきなりのどかな風景が広がる。が、周りは旅客機がひっきりなしに往来しており、改めて空港の中にいることを思い知る。三里塚物産の平野靖識代表に聞いてみた。なぜ、今もここに?
「私は69年から、反対派の活動を支援してきました。しかし、結果的に多くの農家が離れていった。痛感したのは農家が経済的に自立しなければ、国家が進める巨大事業に対抗することができないということ。そこで47年前、農産物を加工・販売する事業を始めたのです。ここで作ったラッキョウ漬けなどの食品は、生協やオイシックス・ラ・大地といった会社にも卸しています。もちろん、いま進んでいる空港の拡張には反対です。循環型の農業と、膨大な消費で成り立つ空港と、どちらが優れているか実践をもって示したいのです」
国が拠点の買収交渉のために現地を訪れたのは20年前。平野氏らが断ると、以来、姿を見せていない。





