大きな期待を寄せられていたのに、開幕前の大ケガで活躍できず…「阪神」と「中日」のドラ1は、思わぬアクシデントで“短命”に終わった

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ケガに苦しみながら、現役最後の打席となった新庄剛志を三振に打ち取った

 ルーキーではないが、飛躍が期待された2年目に投手生命にかかわる重傷を負ったのが、中里篤史である。

 2001年にドラフト1位で中日入りした中里は、同年9月16日の巨人戦で初先発初登板デビュー。プロ初勝利こそ逃したが、5回を自責点1に抑え、打ってもプロ初安打の中越え2点タイムリー二塁打を記録と、大物ぶりをアピールした。

 そして、翌02年、山田久志新監督は“第5の先発”として期待をかけたが、キャンプイン直後、右肘の不安を訴え、2軍スタートとなった。

 その後も調子はなかなか上がらず、一時は名古屋への送還も検討されたが、2月13日にブルペンで約15メートルの距離から50球投げられるまでに復調。明るい兆しが見えはじめた。

 ところが、同20日、2軍宿舎でのミーティング後に、思わぬ悲劇が待ち受けていた。宿舎1階のロビーに降りようとした中里は、急勾配の階段に足を滑らせ、咄嗟に手すりを掴もうとした際に、腕が後方にねじれる形で転倒。右肩関節唇損傷と右肩関節包損傷で全治3ヵ月と診断され、シーズン中の復帰は絶望となった。

 7月から5メートルの距離でキャッチボールを再開。翌03年4月にはブルペンで30球を投げるまで回復したが、秋季キャンプ中の11月19日にプールトレーニング中、再び右肩を痛め、年明け後に手術を受けた。

 そんな苦闘の日々を経て、2005年10月1日の広島戦で4年ぶりに1軍登板。翌06年には自己最多の13試合に登板し、日本ハムとの日本シリーズでも、現役最後の打席となった新庄剛志を三振に打ち取った。だが、その後も故障に泣き、巨人移籍後の2011年オフ、通算2勝2敗で現役生活を終えている。

 野球選手にケガはつきものだが、時にはめぐり合わせの不運で野球人生が変わってしまうケースもあることを痛感させられる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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