「心中を図ろうとした父が包丁を持って馬乗りに…」 過酷な少年時代が芸の源「桂雀々さん」の上方落語

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“爆笑落語”を受け継ぐ

 上方落語の天才と呼ばれた桂枝雀さんに弟子入り志願。帽子工場で働き、夜間高校に通い、77年に入門。住み込み生活に家庭を感じ、全身を駆使する師匠の爆笑落語を色濃く受け継いだ。

 放送作家の保志学さんは思い返す。

「ご両親の件は薄々知っていても皆、触れませんでした。雀々さんもこの体験を落語で売り物にしなかった」

 放送作家の古川嘉一郎さんは言う。

「明るく人なつっこいがこびない。礼儀正しく、どんな人にも正面から向かっていくのでかわいがられた」

 上岡龍太郎、やしきたかじんといった関西の気難しい面々も雀々さんを応援。桂ざこばの妻の妹を娶っている。特技は人当たり、と真顔で語り交友が広い。

 放送作家の大河内通弘さんも振り返る。

「テレビ番組で雀々さんが店で値切るコーナーを担当したことがあります。50万円の壺が2万円になった。お世辞とは違い、店主を無理強いせず笑わせて相手が折れる。嫌みがなく、人へのからみ方が見事なもんです」

「今後がますます楽しみだった」

 2011年からは東京に拠点を移し、活動を続けた。

 落語に造詣が深い作家の吉川潮さんは言う。

「上方で地位を確立しているのに威張らず信用された。上方落語を身近に味わってほしい、と50歳を過ぎてから東京に根を下ろす覚悟があった。人気が定着し、今後がますます楽しみでした」

 今年10月に体調を崩し、容態が急変。11月20日、糖尿病が引き起こした肝不全のため64歳で逝去。

 失踪した母は、雀々さんが売れ始めた20歳の頃、所属事務所に電話をかけてきた。今さら、と無視していると寄席に派手な服装の中年女性が現れ始めた。やがて母だと気付いた。01年に29年ぶりに対面して言葉を交わす。雀々さんは40歳になっていた。それ以前、病死した父の亡きがらとは葬儀場で再会している。

週刊新潮 2024年12月5日号掲載

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