ゆかりの地に寄贈された「初期ナンバーの新紙幣」…なぜ佐賀県の「唐津」に? 東京商工会議所や津田塾大は納得だけど
なぜか唐津市に
今年7月から発行された新紙幣。出回り始めてから2カ月が過ぎ、そろそろ、多くの人の下に届いたのではなかろうか。しかし最初期に刷られた記番号「AA00000◇AA」(◇は数字)を手にした人はどれだけいるだろう。市場に出回れば高騰必至の超激レアな初期ナンバー紙幣。果たしてどこに配られているのか。
【お宝】初期ナンバー「7AA」が印字された“超激レア新一万円札”がピンピンに額装された様子
実は、最初期に刷られた紙幣は市場には出回らないことになっているのだ。まず、新紙幣の第一号である1AAは、貨幣博物館に寄贈される。そして4AAを国立印刷局、そして10AAの行き先は金融資料館という決まりになっているのだ。それ以外の2、3、5~9については、紙幣と関連の深い自治体や施設等に寄贈されるという。
渋沢栄一の肖像が印刷された一万円札の2AAは東京商工会議所、3AAは東日本旅客鉄道株式会社。津田梅子の五千円札は2AAが東京都新宿区、3AAが津田塾大学。北里柴三郎の千円札は2AAが神奈川県、3AAが学校法人北里研究所である。
さて、ここからは一万円札の話に入るが、5AAは公益財団法人渋沢栄一記念財団へ、6AAが渋沢の出身地である埼玉県深谷市へ寄贈されたという。そんな中、意外だったのが7AAだ。日銀の植田和夫総裁が送った相手は、現在筆者が住む佐賀県唐津市の市長・峰達郎氏。
丸の内駅舎の縁
多くの人は、なぜ渋沢栄一と唐津? という疑問を抱くだろうが、答えは一万円札の裏面にある。ここに描かれているのは「東京駅丸の内駅舎」なのだが、この建物を設計したのが、近代建築の祖と言われる建築家・辰野金吾で、辰野は唐津市出身なのだ。辰野が設計した建物は現在、日本と韓国に25作品存在するが、重要文化財になるものも多数ある。ちなみに、3AAがJR東日本に寄贈されたのも、同社が東京駅丸の内駅舎を管轄しているからに他ならない。
いずれにせよ、辰野金吾の出身地というご縁があり、唐津市に7AAが贈呈されたのである。そして現在、唐津市の旧唐津銀行本店(辰野金吾記念館)で7AAの展示がされている。この建物は弟子の田中実が設計をし、辰野が監修をしたものだ。現在は唐津市と佐賀県の指定重要文化財になっている。
また、今回の件により、深谷市と唐津市の交流を深めようと動く人もいる。「NPO法人唐津赤レンガの会」と「辰野金吾を顕彰する市民の会」代表の田中勝氏だ。同氏が今回の7AA贈呈について語る。
「今回の新一万円札は、渋沢栄一氏と東京駅丸の内駅舎が表裏に描かれていますが、その過程は埼玉県深谷市と東京駅の関係が深いことがまずあります。また、渋沢と辰野金吾の関係も厚く、辰野の最初の設計建築である銀行集会所(1885年)も渋沢の意向で建てられたものです」
[1/2ページ]