「明日から君の机はないからな」 “使い走り”にされた挙げ句クビになった横尾忠則のサラリーマン時代
高校を卒業して初めて就職したときの話でもしましょうか。僕は東京の美術大学を受験するつもりで、東京に帰ってしまっていた高校の美術の先生のアパートに居候しながら受験を控えていたところ、受験の前日に突然、先生から、明日の受験を中止して郷里に帰りなさい、と言われた話は前にも書きましたね。
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そして郷里に帰った日の翌日の話です。郷里の西脇から40キロほど離れた加古川の印刷所の社長から、僕の描いた「織物祭」のポスターがコンクールで一等になったという新聞記事を見て、ぜひわが社のデザイナーとして採用したいという速達が来て、僕のサラリーマン生活が始まりました。
印刷所での初仕事は、包装紙のデザインを描いて、営業の人がそれを持って、めぼしいスポンサーになる商店に売り込みに行くというものでしたが、一点も採用されることがなく、僕はデザイナーから使い走りや印刷物の納品係に転向させられてしまいました。
そんなある日、街から数キロ離れたところの肥料会社に一枚の納品書を届けることになりました。見渡す限り田んぼに囲まれた中の田舎の一本道を自転車で走るのですが、途中に小川があって、そこで魚を釣っている人がいたので、しばらく立ち止まって見ていると、「兄ちゃん、竿があるから、一緒に釣らへんか?」と声を掛けられました。
どの位時間が経ったか、空の雲行きが悪くなって、遠雷の音が聴こえてきました。僕は急いで肥料会社に自転車を飛ばしましたが、受付で納品書を渡そうとしても、門限時間の5時を過ぎているという理由で、いくら頼んでも受け取ってくれませんでした。社長に叱られるに決まっていますが、仕方なく、なんて言い訳をしようかと考えながら、もと来た道を自転車で帰るしかありません。
途中、踏切があって、その先きに会社の課長が印刷物をバイクに積んだままエンコしていました。「赤田はん、どないしましたんや」「君こそどないしたんや」。納品書を受け取ってもらえなかった話をすると、課長は「今日中に届けないと入金されないぞ、よしわかった。俺の名刺を持って、もう一度行ってくれ。受け取ってもらうように名刺に書いておくからな。それとも、バイクが故障したので君がこのバイクを引いて会社に帰ってくれるか、俺が代わりに先方に行くから」。僕は試しにバイクを引こうとしましたがとっても重くて、僕の手には負えない。「だったら、バイクの印刷物を君の自転車に移すから、もう一度行ってくれ」。
背中の高さまである荷物を積んだ自転車に乗ると、ヨロヨロして上手くこげない。そして、線路のところまで行った時に、自転車が、まるで馬が前足を上げて立ったかのように、僕は自転車に乗ったまま転倒してしまったのです。荷台から落ちた印刷物は、線路上に散乱してしまいました。課長は飛んできてくれたのですが、その時、無人踏切の警鐘がカンカンと音を立てて鳴り始め、同時に遠くに電車の姿が見えました。「早く、早く」と課長の声も頭上の音にかき消され、電車は次第に大きくなって近づいてきます。線路上のわれわれに気づいたのか、大きい警笛を鳴らして威嚇するようでした。
目の前を巨大な電車が、轟音を立てて通り過ぎた時、二人は地べたにへたばったまま動けない。と、そこへ突然、雨が降ってきて、アッという間に、散乱した印刷物が雨でにじんでしまいました。地面に座り込んだまま身動きもできない課長は、ずぶ濡れになった顔で不気味に笑っていて、僕も思わず、笑ってしまいました。印刷物の総額は、当時で8万円。僕の給料が4500円でした。
ずぶ濡れの二人が会社に帰ると、社長の息子が「明日から、君の机はないからな」と言いました。僕には謎の言葉に聞こえましたが、ともかく、いつものように翌日、会社に出勤すると、机はそのままありました。しかし、昨日一緒にずぶ濡れになった課長が、「ちょっと」と言って僕を近くの喫茶店に誘いました。そして自分が解雇されたことを初めて知ったのです。両親にこのことが言えなかったので、翌日以降もいつものように電車に乗って途中下車をしながら一日をつぶしました。
数日後の日曜日、「緑色の髪の少年」という映画を観ている時、会社の別の営業の人が映画館にやってきました。昔は映画館に御茶子さんという従業員がいて、劇場内でお客を座席に案内したり、お客を呼び出す習慣がありました。その御茶子さんが大きい声で僕の名前を呼んで、僕は外に呼び出されました。待っていた営業の人は、「社長の伝言だ」と前置きして、「もう一度社に戻ってくれ」と言うのです。どうして復帰させるのかわからなかったので、「今、面白いところだから、早く客席に戻りたい。とにかく断わっといて」と言って、急いで映画館の中に戻りました。
大学の受験もできず、また印刷所も辞めることになりましたが、このような珍奇な出来事が、このあとも、次々起こり続けました。こんな僕の運命パターンは、その後も生涯付きまとっているような気がしています。