「俺の全盛期は70代だった」 “若大将”加山雄三が「攻めの姿勢」に転じた心境を生き生きと語る

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 加山雄三が生まれたのは1937年4月11日。今年で若大将は87歳になると聞けば、感慨を覚えるファンも少なくないだろう。映画「若大将シリーズ」、「君といつまでも」等の若い頃のヒット曲、そして中年期にも「サライ」と、長いキャリアの中には何度もピークといえる瞬間があった。

 しかしここまでの人生を振り返り、本人は「俺の全盛期は70代だった」と語っているのだ。

 なぜか。その理由はそのまま、「永遠の若大将」であり続けられる理由とつながっている。

 新著『俺は100歳まで生きると決めた』から、「70歳から攻めの姿勢に転じた心境」を語った部分を見てみよう(以下、同書より抜粋・再構成しました)

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「攻める」と誓った70歳

 これからの人生は攻めよう。70代に入ったころに思った。きっかけはなんだったかな?

 70歳になったとき、せがれたちがお祝いパーティーをやってくれたんだ。親しい仲間たちを集めて、みんなでおいしいものを食べた。ありがたいなあー、と思った。あのときに攻めようと思ったのかな。

 守りに入らずに攻めなくてはいけない。それは、ずっと思っていた。若くて身体が元気なころは、意識しなくても、どんどんいく。無理がきくからね。でも、70くらいになると、前に進む意識を強く持たないと、攻められない。実は、いつでも攻められるように、身体はけっこう鍛えていた。俺の職業は、ある程度スケジュールをコントロールできる。トレーニングする時間はつくれたんだ。

 俺がもし会社員だったら、70といえば、とうに定年退職した年齢だろ。でも、俺は勤め人じゃないからさ。やるかやらないか、自分で決めなくちゃいけない。じゃあ、どうするか? 自分に問いかけた。

 すると、力がわいてきた。

「よし、これから5、6年また頑張ってみよう!」

 そう思ったのが70歳だった。あのとき、まわりのスタッフにも言ったんだ。

「俺は、これからもやる」

 すると、みんなは驚くわけでもなく、はいはい、ってね。次々とアイディアを出してくれて、動き出した。

攻める気持ちが自分に還元される

 そうか、俺がやる気になれば、みんなもやる気になるんだ。あらためてそう思ったよ。そして、次々とスケジュールが埋まっていく。とっくに態勢ができていたのかもしれないな。頼もしかったね。

 それが俺の70歳だった。人間というのはおもしろいね。やる! と決めたら、エネルギーがどんどんわいてくる。攻める気持ちになっていく。攻める身体にもなっていく。

 そして攻めに転じると、それが自分に還元されるというかさ。自分の力になり、成果が上がっていく。その成果がまた自信になる。プラスのスパイラルが生まれていくんだ。

 年齢を重ねてからは、やっぱりなすがままじゃだめだね。それじゃあなにも新しいことは起こらない。でも、自分からなにかをやれば、なにかが起こる。

 俺みたいな仕事、シンガーソングライターや俳優は自由だろ。自分次第だ。だからこそ、油断するとなにもやらなくなっちまう。気を抜くと、楽な選択をしてしまう。

 だから、常に自分に確認する。

「ちゃんと攻めているかい?」

「決めたことを実行しているかい?」

 そんなふうにして70代から生きている。マネージャーは忙しくなって迷惑しているかもしれない。それは俺もわかっているけれど、気にせずに巻き込んでいく。

 87歳を迎える今、70で、やる! 攻める! と決めてよかったと思っているよ。実際にいろいろなことができたからね。

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 70代からでも「攻め」に転じられる――シニア世代には特に勇気づけられるメッセージかもしれない。そしてこの時期、音楽活動と同時進行に新しく始めたのが、テレビ朝日の散歩番組『若大将のゆうゆう散歩』である。前任者の故・地井武男さんからのバトンタッチには驚いた視聴者も多いことだろう。その背景には意外なドラマがあった。本人が明かした裏事情については後編で。

加山雄三(かやま・ゆうぞう)
1937(昭和12)年神奈川県横浜市生まれ。俳優、歌手。慶應義塾大学法学部政治学科卒。60年にデビュー。「君といつまでも」「海 その愛」などヒット曲多数。主演映画に「若大将」シリーズなど。2021年度の文化功労者に選出された。

デイリー新潮編集部

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