宮城野親方が“兄貴”旭鷲山を怒らせた「モンゴルでの狼藉」 旭鷲山は「もう気にしていない」

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宮城野親方が旭鷲山を“兄貴”と呼ぶ理由

 宮城野部屋の処遇についてはいまだ先が見えず、心を痛めているファンも多い。そんな中、モンゴル出身者で初めて関取となった元小結旭鷲山(きょくしゅうざん)ことダヴァー・バトバヤル氏(51)がこの問題に口を開いた。後編では、日本相撲協会による宮城野親方への“イジメ”問題への見解を語ってもらうが、前編では旭鷲山が宮城野親方を戒めたという、モンゴルでの“狼藉”について明かした。【前後編の前編】

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 モンゴル出身者で初めての関取となった、元小結旭鷲山。2006年の引退後は日本の相撲界には残らず母国に帰り、建設や貿易などを手掛ける実業家へと転身した。

 また、08年からはモンゴルの国会議員を1期4年間務め、大統領補佐官も経験。現在は企業経営に勤しむ傍ら、モンゴル相撲協会の会長を務めている。

「旭鷲山は大相撲における現在のモンゴル力士隆盛の礎を築いた第一人者です。入幕以降、各相撲部屋との間を取り持ち、大勢のモンゴル人を入門させました」(大相撲担当記者)

 元横綱白鵬こと宮城野親方(39)との関係はつとに知られている。

「15歳で来日した宮城野親方はその頃、まだ体が出来上がっておらず、どこの相撲部屋からも声がかかりませんでした。そこで、旭鷲山が元幕内竹葉山こと先代の宮城野親方(66)に口を利き、なんとか入門にこぎ着けさせたのです」(同)

 いわば、宮城野親方にとって旭鷲山は、日本の相撲界に足を踏み入れるきっかけを作ってくれた恩人である。今でも宮城野親方が旭鷲山を“兄貴”と呼んではばからないのはそのためだ。

旭鷲山の責任問題に議論が発展

 しかし、そんな宮城野親方が昨年、母国モンゴルで狼藉を働いてしまい、旭鷲山から窘(たしな)められたことがあったという。

 宮城野親方と旭鷲山の双方を知る、さる大相撲関係者はこう語る。

「昨年11月、宮城野親方が少年相撲の国際大会『白鵬杯』をモンゴルで開催しました。当初はこれといったトラブルもなく、むしろ現地のテレビで放送されるなど好評を博しましたが、今年に入ってからモンゴル相撲協会に無許可で開催していた事実が明るみになってしまったのです」

 その結果、モンゴル相撲協会の会長である旭鷲山の責任問題に議論が発展していったのだとか。

「とどのつまり、会長の旭鷲山をクビにしろ、といった批判が協会の中で高まりました。この批判は、宮城野親方がモンゴルでルールを守らずに好き勝手していたのは“兄貴”の旭鷲山がしっかりしていないからだ、という考え方に基づいています」(同)

 旭鷲山は今年6月に国会議員の選挙へ出馬し、さらに3年後の27年には大統領選に立候補する可能性も取り沙汰されている。

「『白鵬杯』が無許可で開催されていた問題は、モンゴル相撲協会の中だけにとどまらず、旭鷲山を良く思わない政界の対抗勢力にとっても格好の攻撃材料となりつつありました」(同)

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