【新宿アルタ営業終了】担当Dが明かす「笑ってる場合ですよ!」制作秘話 大型ビジョンが果たした重要な役割

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また消える「昭和」の名物施設

 少し気の早い話だが、来年(2025年)は「昭和100年」でもある。TBS系ドラマ「不適切にもほどがある!」でも懐古され、「昭和レトロ」ブームも相まって“あの時代”を思い返す機会も多い中で、昭和を象徴する施設の閉鎖も相次いでいる。昨年の1月には渋谷区の東急百貨店本店が営業を終了。7月には国内外のミュージシャン、演奏家やファンから「聖地」とされたコンサートホールが入る中野サンプラザ(中野区)も閉館した。

 そして3月22日、かつて「笑いの聖地」と呼ばれた施設が幕を閉じることが伝えられた。新宿区にある商業施設「新宿アルタ」が、2025年2月28日で営業を終了する。JR新宿駅東口を出てすぐ目の前にそびえ立つ地下2階、地上8階建てのファッションビルの開業は1980(昭和55)年だった。買い物はもちろん、待ち合わせのメッカとして重宝されてきたが、ビルの名を全国に知らしめるきっかけになったのは、7~8階のスタジオアルタで連日正午から公開生放送された「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ)が人気を集めたことが大きな要因である。

 80年10月1日から2年間にわたって放送された「笑ってる場合ですよ!」は、司会にB&B、出演者にツービートや紳助・竜介、ザ・ぼんち、のりお・よしおなど、当時大ブームになっていた漫才師が起用され、「日本のお昼を変えた」と言われた。この流れは82年10月4日から32年間も放送された「森田一義アワー 笑っていいとも!」へと引き継がれ、共にテレビ史に残る名物番組となった。

 スタジオアルタは既に2016年3月31日に営業を終了しているが、伝説の始まりとなった番組「笑ってる場合ですよ!」はどのような経緯を経て誕生したのか。番組の立ち上げからディレクターを務めた一人であり、今も第一線で番組を作り続けている三宅デタガリ恵介こと、三宅恵介さん(75)に話を聞いた。

フジテレビの「55年体制」

 番組が始まった1980(昭和55)年は、フジテレビにとっても大きな転換点となる年だった。この年3月、都営地下鉄新宿線の新宿~岩本町駅が開業。当時のフジの社屋近くに曙橋駅ができた。それまで、営団地下鉄丸ノ内線・四谷三丁目駅から15分ほど歩いて通っていた社員たちは大喜びだったが、それ以上に大きな出来事が、社の組織改革だった。

 当時のフジは長く視聴率が低迷していた。報道とスポーツを除く番組制作は本社から切り離し、制作専門の外部プロに発注していた。「競争原理の導入」といえば聞こえがいいが、少しでも番組枠をとるために互いに情報共有はなく、敵対するような関係にあったという。その状態を打破するために、当時の鹿内春雄副社長が陣頭指揮を執り、散らばっていた制作プロを統合しフジに戻した。これを社内では「フジテレビの55年体制」と呼んでいた。

「僕は『スター千一夜』などを作っていたフジポニーという会社にいたのですが、同じ会社にいた4人の仲間と一緒に『笑ってる場合ですよ!』を立ち上げました。僕を入れた5人が、後に“ひょうきんディレクターズ”として、『オレたちひょうきん族』を作ります」(三宅さん、以下同)

「ひょうきん族」もまた伝説の番組である。長く土曜午後8時台の視聴率王者だったTBSの「8時だョ!全員集合」を抜き、一時代を築いた。三宅さんと一緒に作ったその4人とは、荻野ビビンバ繁(76)、佐藤ゲーハー義和(2020年没)、永峰アンノン明(70)、山縣ベースケ慎司(73)。佐藤さんと永峰さんは、横澤オジン彪(2011年没)プロデューサーのもとで「THE MANZAI」を手掛けており、山縣さんと三宅さん、そして永峰さんは「スター千一夜」で一緒だった。

「秋に、昼の帯(月~金曜日)の手直しがあるらしいと聞いた僕は、ゲーハー佐藤に相談して、当時上り調子で人気を集めていた人気漫才師が日替わりで出る番組をやろうと、企画書を作りました。月曜日はザ・ぼんち、火曜はツービート、水曜日は紳助・竜介、木曜日が春風亭小朝さん(後に明石家さんま)、金曜日がのりお・よしお。これだけのメンツを束ねるには、誰かまとめ役がいるなと思い、MCを当時人気絶頂だったB&Bにお願いしたのです」

 企画は通ったが、会社から言われた条件が一つあった。それは「スタジオアルタを使うように」ということ。アルタビルは三越百貨店(当時)が手掛け、フジテレビが出資していたことも関係していたようだ。

「さっそくスタジオを見に行ったのですが、最初の印象はちょっと狭いなぁと思ったものの、それは杞憂でした。80人くらいのお客さんと演者さんの声が逃げることもなく、客席と舞台の距離も実に程よい空間でした。月~金の帯でやるには、曜日担当のディレクターがもう一人いるので、音楽番組の長い荻野を誘ったのです」

 三宅さんたち、5人のディレクターは「ここ(アルタ)が文化の発信地、新しい笑いの聖地になればいいな、くらいの気持ち」で番組をスタートさせたという。フジの上層部から「笑ってる場合ですよ!」という番組タイトルは、「日本語として、文法的にもおかしい」という指摘があったというが、そのままスタートとなった。

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