「めざまし」時代は胸を小さく“逆加工”…「グラビアやるくらいなら新潟に帰ろうと」豊島心桜を変えた20歳の決心

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 グラビア業界の出来事を、グラビア評論家の徳重龍徳が振り返る連載「上善は水着のごとし」。今回は2024年にグラビアでの活躍が期待され、3月21日発売の「週刊ヤングジャンプ」の表紙も飾った豊島心桜(20)をインタビュー。グラビア挑戦への思いを明かしてくれた。

 SNSをしていると、この世に知られていないことはないように感じる。そんな時代の中でもグラビアは数少ない驚きを生むジャンルだ。服を脱ぎ、水着になり、写真に収まらなければ被写体としての資質はわからない。

 昨年末、鮮烈なグラビアデビューを果たした豊島心桜もそうだ。2020年から今年3月まで「めざましテレビ」のイマドキガールとして出演していたが、グラビアでの逸材ぶりはわからなかった。実はSNSでは胸が大きく見えなくなるよう“逆加工”していたという。

「ボディーラインが出る服をそもそも着ない。あと横を向く写真だとわかりやすいですが、そこに目が行くのが嫌なんで加工ツールで小さくしてます」

 だからこそ、グラビアデビューは見る者に衝撃を与えた。週刊プレイボーイの表紙となった際、ついたキャッチコピーは「2023年のラスボス」。グラビアでは大袈裟なキャッチコピーも多いが、豊島のそれには説得力があった。

「胸が大きいのはずっと嫌でした。胸元があいている服がかわいいなと思っても、私が着ると卑猥な感じになっちゃう。胸のことを考えて服を選ばなきゃいけないのがめんどくさくて。なんならそぎ落としたいなってずっと思ってたんで。今はグラビアで活かせる場があって良かったなって思ってますけど、この仕事をしてなかったら確実にいらないって思ってます」

事務所はスカウトすべく“聞き込み”

 芸能界入りのきっかけは「横田真悠ちゃん、久間田琳加ちゃんが好きでオーディションを受ければ会えると思って」と淡い期待を胸に受けた「ミスセブンティーン2017」のオーディションだった。

 結果は不合格だったが、雑誌誌面に載ると、現事務所のアービングの目に留まった。とはいえ、雑誌側は個人情報は教えてくれない。そこで事務所がとった行動は令和とは思えぬ泥臭い戦術だった。

「雑誌に私の名前、中学2年生、新潟県が載っていたのを見て、新潟駅で『この子知りませんか』と聞き込みをしたらしいんです。そこで、たまたま私の友達のお姉ちゃんに会ったらしくて。それをきっかけでスカウトされました」

 豊島自身は芸能界に興味はなく、当時は新潟での進学を考えていたため断った。しかし2回目のスカウトの際、当時好きだったK-POPグループのメンバー全員のサインが入ったアルバムを渡され、心境に変化が生まれた。

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