世界的ラリースト篠塚建次郎さん 「生涯現役」で走り抜けた75年

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 パリ・ダカールラリー、通称パリダカで日本人初の総合優勝を1997年に果たすなど、三菱自動車のサラリーマン時代から世界的なラリーストとして知られた篠塚建次郎さん。稲妻のような走りっぷりで「ライトニングケンジロウ」の異名でも親しまれた。

 東海大学在学中にラリーデビュー。その世界に引っ張り込んだのは同級生の砂原茂雄さんだ。ラリーについて「何が面白ぇんだ?」と訝っていた篠塚さんだが、砂原さんによると「最初は私のナビゲーターを務めていたが、次第にラリーの面白さにハマっていったんです」。砂原さんの誘いがなければ、後の“世界のケンジロウ”はいなかった。

裕次郎映画に憧れて

 当時意識したのが石原裕次郎主演の映画「栄光への5000キロ」(69年)だ。これが篠塚さんの「サファリラリーへの憧れを抱いた原点」(砂原さん)で、その思いが76年サファリラリーでの日本人初完走6位入賞につながった。

 71年、三菱自動車に入社。大学時代からのラリー仲間で、新設の宣伝部モータースポーツグループに篠塚さんとともに配属された同期入社の伊藤哲郎さんは「建次郎を入社させるためにつくられたセクション」と話す。71、72年は全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンとなった。

「土日のラリーに出て、月曜に上司に報告。模造紙にポスターのような手製の報告書を作成し、自分たちで掲示板に張っていた」(同)

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