ブライアントの“認定本塁打”に、松永浩美のサヨナラランニング弾 ファンが驚愕した「歴史的珍ホームラン集」

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四球が見過ごされて

“野球の華”ともいわれるホームラン。NPBでは1936年以来、10万本以上ものホームランが記録されているが、この中には「えっ、まさか!」と思わずビックリ仰天するような“珍本塁打”もあった。【久保田龍雄/ライター】

 通常ならあり得ないカウント4‐2から本塁打を放ったのが、1987年の巨人・吉村禎章である。

 10月18日の広島戦、1対5とリードされた巨人は4回1死、5番・吉村がフルカウントから白武佳久の7球目を見送った。だが、山本文男球審は四球をコールしない。

 実は、カウント2-2になった直後、スコアボードの表示が1‐2になっていたのが、事件の発端だった。山本球審が首をかしげながら自身のインジケーターを見ると、2‐2だった。そこで、吉村と捕手の達川光男に確認したところ、2人とも「1‐2じゃないですか」と口を揃えたので、すっかりそう思い込んでしまったのだ。

 その後、吉村は5球目をファウルしたあと、6、7球目を見送り、四球になった。だが、みんな、フルカウントと勘違いしたまま。広島・阿南準郎監督は四球に気づいていたが、「これは儲けた」と思い、アピールしない。巨人・王貞治監督も「あれ?と思ったけど、“四球じゃないか”と出て行って、間違いだったら恥ずかしいから」と動かなかった。

「喜劇的一発」

 間違いに気づいたネット裏の記録員が慌てて「フォアボールだ!」と叫んだが、時すでに遅し。吉村はカウント4‐2から白武の8球目、外角スライダーを左翼席に叩き込み、プロ6年目のシーズン最終戦で初めて30号の大台に乗せた。

 これまでカウント4‐2で四球にならなかったケースは、1967年の青野修三(東映)はじめ3例あったが、いずれも三振に倒れており、4‐2からのホームランは史上初の珍事。吉村も「おかしいな、と思っていたけど、そのまま打っちゃいました。30本は(王監督から)“ここまで来たら狙え”って言われてたんです。ホント、ラッキーでした。今シーズン打てるようになった左翼への本塁打だし」と大喜びだった。

 だが、取り返しのつかない“勘違いの産物”に、試合後、山本球審は「私のミス以外の何ものでもありません」と平謝り。阿南監督も「人間、正直じゃないといけないんだね」と反省していた。

 翌年の東京ドームオープンに伴い、この「喜劇的一発」(翌日の日刊スポーツの見出し)が、後楽園球場におけるシーズン公式戦最後の本塁打となった。

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