日本球界で不滅の大記録! “12年連続開幕投手”になった「山田久志」の凄すぎる成績を振り返る!

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“下手投げの本格派”

 今年も3月29日にプロ野球公式戦が開幕した。“開幕戦の華”とも言うべき開幕投手は、金田正一(国鉄→巨人)と鈴木啓示(近鉄)の14回がNPB史上最多。以下、村田兆治(ロッテ)の13回、山田久志(阪急)の12回と続く。そして、回数こそ歴代4位ながら、山田が記録した12年連続開幕投手は、今も不滅の最長記録である。【久保田龍雄/ライター】

 1969年にドラフト1位で阪急に入団した山田は、“下手投げの本格派”と呼ばれ、若い頃は直球でグイグイ押した。71年に22勝、72年に20勝を挙げ、若きエースになったが、72年に膝を痛めてから球速が落ち、力で抑えるピッチングに翳りが見えはじめる。

「真っすぐだけでは通用しない」と痛感した山田は、シンカーを覚えようとした。同じ下手投げでシンカーを得意とするチームの先輩・足立光夫に教えを乞うたが、「真っすぐのスピードが落ちるから、まだ覚えんほうがいい」と断られてしまう。

 そこで、山田は「技術を盗む」ことから始めた。ブルペンで足立が投げていると、捕手の後ろに立ち、投球動作を食い入るように見つめた。足立が気にして投球練習をやめてしまうほどの熱心さだった。

 だが、自らの投球スタイルを変えるまでには至らず、73年は15勝ながらリーグ最多の32被本塁打、リリーフを兼ねた74年も11勝11セーブ、チームも2年連続V逸と、壁にぶち当たった。

 山田が初めて開幕投手になったのは、そんな苦闘のさなかの1975年だった。

「もう一度やり直そう」と現役続行

 4月5日の近鉄戦、2回に先制点を許した山田だったが、味方が6回に森本潔の3ランなどで逆転。9安打を許しながらも2失点完投し、開幕初勝利を手にした。

 だが、同年は12勝10敗2セーブ、被本塁打もリーグワーストの36と不本意な成績に終わり、ドラ1ルーキーの“速球王”山口高志に主役を奪われてしまう。

 球団初の日本一を達成した広島との日本シリーズでも、大事な場面では、すべて山口がマウンドに立った。「今まで先発、リリーフでチームのために投げていたのは、一体何だったのだろう」と虚しい気持ちになった山田は同年オフ、球団に引退を申し入れた。まだ27歳。必ずしも本気からではなかったが、懸命に慰留する球団側の熱意に再び気持ちが高まり、「もう一度やり直そう」と現役続行を決めた。

 翌76年の春季キャンプ中、山田の努力を認めた足立が、初めてシンカーの投げ方をアドバイスしてくれたことも、大きな追い風となった。

 同年4月3日の近鉄戦、2年連続の開幕投手になった山田は、5安打完封勝利の好発進。シンカーによって直球も生きたことが投球の幅をもたらし、26勝5セーブ。同年から史上最多タイの3年連続MVPと、エース復活を遂げた。

 翌77年の開幕戦も延長10回を投げ抜き、南海に3対2で勝利。79年までいずれも南海相手に勝利投手となり、5年連続完投による開幕戦5連勝を達成した。シンカーが完成したのもこの頃で、同年は21勝を挙げている。

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