渚は戻って来られるのか? 令和と昭和が舞台の「ふてほど」、実は“平成”の苦労もきちんと描いている

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それぞれの時代に馴染む市郎とサカエ

 第9話では犬島渚が、妊活に励む後輩のAP(アシスタントプロデューサー)の杉山ひろ美(円井わん)から、社内報での発言がアウディングだと疑われる。そして、渚が妊活で仕事に入れない杉山を気遣って口にした「だったらその週は、いないものとしてシフトを組んどくから、来れたら顔出して」という言葉が“プレ・マタニティ・ハラスメント”に該当すると言われ、1ヶ月の謹慎処分を受けてしまう。

 第2話では、「働き方改革」を意識した上辺だけの配慮の影響で、やりたいように仕事ができないことにブチ切れた渚が夫と上司に「お願い」をする場面が軽快なミュージカルに乗せて爽快に描かれた。そんな彼女が今度はハラスメントの加害者として訴えられてしまう。

 この9話が皮肉なのは、セクハラにあたる不適切発言を杉山におこなった市郎ではなく、渚が処分を受けて、社内に居場所がなくなってしまうことだ。

 そんな渚を心配した市郎は、1往復分の燃料しかないタイムマシンで、渚を連れて昭和に帰る。最終的に市郎が昭和に帰るのはある程度、予測していたが、ハラスメントでキャンセル(排除)されて令和で居場所を失うのが市郎ではなく渚だったのは意外だった。
 
 当初は不適切な発言と言動で周囲を翻弄する昭和の市郎の存在は異物として描かれていたが、市郎自身はスマホを筆頭とする現代のテクノロジーに興味を持ち、令和の価値観にみるみる適応し、テレビ局のカウンセラーとして現代に馴染んでいく。

 令和から昭和にやってきた社会学者でフェミニストの向坂サカエ(吉田羊)も気が付けば昭和という時代を満喫している。最初は異なる価値観で周囲を翻弄するトリックスター的存在だった市郎やサカエが、それぞれの時代の空気に馴染んでいくのが「不適切」の面白さだ。そこには人間の価値観はその時代の空気に簡単に染まってしまうもので、それくらい人の価値観なんて流動的なのだという、作り手の人間観が滲み出ている。

「ゆとりですが」でも描かれたハラスメント疑惑

 市郎やサカエのような人は、環境が変わってもすぐに適応して馴染むことができる特別な存在だ。対して、労働環境やハラスメントに異を唱える人や、世間がうるさいからという建前上の理由だけで世間の価値観に合わせることができるテレビ局の上層部も、立場こそ真逆だが令和の価値観を生きているといえるだろう。

 渚のような令和の価値観に表面上は合わせて適応しているが、違和感を抱えている。そんな上司と部下の間で板挟みになっている30代の中堅に皺寄せが向かっているというのが「不適切」が描く令和に対する現状認識だ。

 渚は34歳で、世代で言うとゆとり世代にあたるのだが、2016年に宮藤は、1989年生まれのゆとり第一世代の3人の男性を主人公にした連続ドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系、以下「ゆとり」)を手がけている。

「ゆとり」で、主人公の1人であるサラリーマンの坂間正和(岡田将生)が後輩の山岸ひろむ(仲野太賀)に、仕事中の発言を逆恨みされ、ハラスメントで訴えられる場面を、渚がハラスメントで訴えられるシーンを見て思い出した。劇中で「ゆとりモンスター」と呼ばれている山岸は、同じゆとり世代の坂間でも理解不能な得体の知れない怪物として当初は描かれた。

「不適切」の9話では杉山からパワハラで訴えられた渚が、杉山の弁護士と上司から聞き取りを受ける場面があるのだが、「ゆとり」にも坂間が山岸へのハラスメント疑惑について会議室で意見を聞かれるというそっくりな場面がある。

 しかし、大きく違うのは「ゆとり」では、聞き取りに山岸も顧問弁護士と労働組合の代表と共に同席し自分の被害を訴えることだ。対して「不適切」では、被害を訴える杉山がその場にいない。

 坂間を訴えるという主張は暴論で、上司も坂間の味方をしてその場で山岸を叱責する。その後、山岸は訴えを取り下げ会社に残り、坂間と山岸は対話を繰り返し、少しずつお互いを理解していくというドラマらしい展開になっていくのだが、2016年のドラマでは描くことができたクレーマー化した若手社員との対話が、2024年の「不適切」ではできなくなっていることが、この2作を比較するとよくわかる。

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