ネット炎上の象徴だった「嫌韓」が“下火”になった理由…無軌道な「ヘイト」の拡散を抑える“最善の策”とは?

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一騎打ち

 ネットの歴史を語るうえで欠かせないのが「嫌韓」だが、随分と下火になった。良いことだ。何しろ2000年頃からネット人口が激増するとともに韓国や在日コリアンに対する負のオーラが段々と醸成されていき、韓国を嫌いな人々の書き込みが猛烈に増えたのである。それが下火になっている今、ネットの嫌韓の歴史をザックリと振り返るとともに、現状を改めて見てみよう。

 上に「韓国を嫌いな人々の書き込みが猛烈に増えた」と書いたが、実際は「ネットの情報(真偽不明のものも含む)を見ることで韓国が嫌いになり、その憎悪をネットに書き込む人が増えた」ということである。彼らは「ネット右翼(ネトウヨ)」とも呼ばれるが、別に右翼ではない。「韓国を執拗に嫌う人々」と考えた方が理解しやすい。

 ネトウヨの誕生については、一説には2002年のFIFA日韓ワールドカップが契機と見る向きもある。元々日本はアジア初のワールドカップ開催を単独で目指していたが、韓国が名乗りを上げ、両国の一騎打ちになった。しかし、あまりに激しい争いからFIFAは共同開催を提案。日本サッカー協会は乗り気ではなかったが、共同開催を受け入れない場合は韓国の単独開催になることから1996年に日本は受け入れた。

一気に沸騰

 この段階では「まぁいいか。隣の国だからな」的な感覚の人が多かっただろうが、「一体なんじゃこの国は?」と思う騒動がワールドカップ期間中にあった。元々韓国は「デモをよくやっている国」「唐辛子が好きな国」「ソウルオリンピックのボクシング競技で韓国人選手に不可解な判定をした国」程度の認識を一般の人々は抱いていたのではないだろうか。リベラル派は従軍慰安婦問題を重視していた感はあったし、「河野談話」は譲歩し過ぎだとの意見はあったが、「嫌韓」の空気感は薄かった。

 そうしたなか、契機となったとされる騒動とは、決勝トーナメント一回戦で日本がトルコに負けた時、テレビで大喜びをする韓国の人々の姿が流れたことだ。「なんで共催のパートナーが負けて喜ぶんだ? ヘンな国だな」といった感情を抱く人も多かった。こうしたことから韓国に対する違和感がネット上に書き込まれるようになり、その後、「在日特権」という言葉が登場。2005年に発売された『マンガ 嫌韓流』が100万部超のベストセラーになり、2006年の「在日特権を許さない市民の会」(在特会)誕生も影響して一気にネットで嫌韓感情が沸騰した。朝日新聞が2005年に従軍慰安婦報道が捏造だったことを認めたことも大いに影響していることだろう。

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