プロ野球選手からアパホテル営業マンへ転身…元ヤクルト・川本良平さんが明かす「異例の名刺」と「ドライヤー」の秘密

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プライドは表に出すものではなく、内に秘めておくもの

 川本の新しい出発を、野球界も後押しする。入社からわずか2週間後のことだった。川本は古巣・ヤクルト球団に足を運んだ。

「すぐにアポを取って、ヤクルト球団の衣笠(剛)社長(現・代表取締役会長)にごあいさつに行きました。その席で、《アパホテルデー》の提案をしたんです」

 川本が入社する以前から、アパホテルは「アパホテルデー」と称して、マリーンズの試合のスポンサーとしてイベントを行っていた。「ロッテがあるなら、ヤクルトでも」と考えた川本の提案に対して、スワローズの衣笠社長は好意的な反応を見せた。川本が続ける。

「まず、“ロッテさんでこういうイベントをやっているんですけど、ヤクルトさんでもいかがですか?”と提案した後に、“僕の最初の仕事なんです”って言うと、衣笠社長は、“しょうがないな、お前の就職祝いだ”と言ってくれました(笑)。本来のイベント予算とは隔たりもあったようなんですけど、特別価格で実現してくれたんです」

 始球式では、アパホテルの元谷芙美子社長がピッチャー役となり、川本もユニフォーム姿でキャッチャー役を務めた。久しぶりの神宮凱旋だった。当日のことを振り返ると、「あれは本当に嬉しかったなぁ」と川本は笑った。

 17年に入社して、すでに8年目を迎えた。この間、独自の視点で、川本はさまざまな成果を挙げている。現在では購買戦略室も兼任し、ホテル室内のアメニティや備品の仕入れを担当するのも川本の仕事だ。他のホテルと比べて風量の強い「アパホテルオリジナルドライヤー」も川本が提案したものだ。

「僕が入社したときのドライヤーは風量が弱くて、男の僕でも髪を乾かすのに時間がかかっていました。女性ならなおさら不便だったと思います。だから、“ぜひ、風量の強いオリジナルドライヤーを作りたい”と考えて、メーカーさんと企画段階から打ち合わせをして、今では全国のアパホテルに置かれるようになりました」

 法人営業チームリーダーである今の自分を語るその表情は、自信に満ちている。川本の入社後、元プロ野球選手の江柄子裕樹(元巨人)や土田瑞起(元巨人)もアパホテルに勤務することになった。

「僕が入社したときに、社長から“君がパイオニアになりなさい”と言われました。自分がうまくいけば、“元プロ野球選手は使えるな”と評価が上がる。そうすれば、プロ野球引退後のセカンドキャリアの可能性も広がってくる。そんな思いはずっと持っていました」

 改めて、「第二の人生で成功する秘訣は?」と尋ねると、表情が引き締まった。

「僕には、野球界で頑張ってきたプライドも自信もあります。でも、ホテル業界ではそれは何も役に立たない。本当にゼロからのスタート、自分がいちばん下っ端であることを自覚して頑張っていくことが大切です。プライドは表に出すものではなく、内に秘めておくもの。僕は、そう考えています」

 ホテルマンらしいハキハキした口調で、何の迷いなく川本は言った。(文中敬称略・了)

前編【阿部慎之助にサヨナラ満塁本塁打を、古田敦也監督は激怒…元ヤクルト捕手が語る、初めてプロの厳しさを知った瞬間】のつづき

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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