「あの人の炎はもう消えかかっている」――鳴らない電話、NYの空を見上げピート・ハミルとの別れを覚悟した

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

 映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として広く知られ、アメリカでは反骨を貫くジャーナリストとして、またコラムニスト、小説家として一世を風靡したピート・ハミルさん。かつてはプレイボーイとまで呼ばれた人だった。

 来日したピートさんにインタビュー取材で出会った作家の青木冨貴子さんは、「ニューズウィーク日本版」創刊に先立ちニューヨーク支局で働かないかというオファーを受けて海外勤務が決まった。運命の糸に手繰り寄せられるかのように二人の仲は縮まるが、次第にピートさんからの連絡が滞るようになり――。

※本記事は、青木冨貴子氏による最新作『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部を抜粋・再編集し、第10回にわたってお届けします。

ひとり、ニューヨークに残って

「一緒にアイルランドへ行こう」とピートが言い出したのはいつのことだったか、今となってはもう思い出せない。ロンドンへ行く前だったか、いや大統領選のあった頃か。あるいは西71丁目のアパートへ引っ越してからのことだったかもしれない。

 彼の提案は、クリスマスが終わってから娘ふたりを連れてアイルランドへ行くから一緒に行かないか、というものだった。2週間ほどの旅でニューヨークへ戻るのは翌1985年1月10日頃、向こうでは民族主義政党のシン・フェイン党ジェリー・アダムズ代表のインタビューができるという。

 もちろん、わたしは行きたかった。しかし、年末年始にそんなに長く休みが取れるかどうかわからなかったし、正直なところ、連日の徹夜と極度のストレスで疲れ果てていたから、この休みにはゆっくり休息を取りたかった。それにニューヨークへ来たばかりだというのに、アイルランドはあまりにも遠い。

 行きたいけれど難しい、たぶん行けない、でも行けるかも……などとわたしが迷いに迷っているあいだに出発日が近づいて、結局、ピートは娘たちを連れて発ち、わたしはニューヨークに留まることになった。

次ページ:彼のことを狂おしいほどに好きだと思う

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。