「夜ヒット」超人気司会者・前田武彦は“バンザイ事件”でなぜ、テレビから消えたのか 本人が亡くなる前に語っていた本音「悔やんでいる。でもね、真実とは違った」

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“バンザイ事件”の結果は辛い宣告

 伏線となったのは、2日前の6月16日、前田がとった行動だった。大阪に向かった前田は、参議院議員補欠選挙の最中だった共産党候補者・沓脱タケ子の選挙カーに乗り込んだ。繁華街や住宅地を回り、候補者や聴衆に対し、大声でこのように語りかけたとされる。

「私は選挙速報を見るのが好きです。支持している候補が当選したときには、涙を流して喜びます。月曜日の生放送では、選挙についてなにかいいますから、見ていてください」(「女性セブン」48年7月11日号)

 果たせるかな、沓脱候補は首尾よく当選した。前田は約束したとおり、月曜日の「夜ヒット」で、「共産党バンザイ」とも受け取れるリアクションを起こしたというわけだ。“バンザイ事件”は、間もなくマスコミの格好の話題となり、世間を騒がせることになった。

 やがて、前田に辛い宣告が下される。5年間、中心を担ってきた番組から降ろされたのだ。同年9月24日の放送を最後に、「マエタケの夜ヒット」はあっさりと幕を下したのである。

 理由について、フジテレビ側は「マンネリ化もあり、最近は視聴率が15~20%と低迷していた」とし、「新メンバーによるてこ入れ」を強調したが、誰もがあの事件との関係を疑ったのは言うまでもない。上層部で問題になり、「前田降ろし」に繋がったというのである。

「共産党バンザイ」とは言っていない

 前田はこう振り返る。

「ボクもあの事件が原因だったと思います。番組で『バンザイ』と叫んだのも、共産党候補を応援したのも事実。でも、応援については、頼まれたから引き受けただけです。現場には松本清張さんや作曲家のいずみたくさんもいたし、特殊な雰囲気ではなかった。……それにしても局の対応は厳しかった。上層部としては、『マエタケを自由にさせ過ぎた』ということだったのでしょう」

 ただ、多数の週刊誌などの見出しに明記されたような「共産党バンザイ」とは言っていない、と繰り返し主張した。

「それはありえないですよ。番組で党名なんて言ったら、絶対に問題になるに決まってるじゃないですか」

 確かに、当時の各報道を見ても、記事の本文に、「放送中に共産党バンザイと叫んだ」と記述している例は見当たらない。

 それでも、選挙応援、番組でのバンザイ、ともに公の場で堂々とやった行為だった。「前田は、共産党シンパとしてテレビでバンザイをした」といった具合に、結び付けられるのは時間の問題だったはずである。

反体制の人間ではありました

 番組降板後も、革新系政党からの参院選出馬が取り沙汰されたり、業界内に「あの前田武彦が王侯貴族の暮らしをしてふんぞりかえっている」などとする怪文書が出回ったりして、身辺の慌ただしさは続いた。保革対立の激しい時代、「左寄り有名タレント」と見られてしまった前田には、政治的な風当たりも強まったのだろうか。

「ボクはもともと反体制の人間ではありました。もちろん共産主義者ではなくて、『時の権力に反対する』というスタンスなんです。共産党が政権をとったら、真っ先に反共産党になります。でも結局、この反体制という部分が、芸能マスコミやある種の『反マエタケ』勢力からすれば、面白くなかったんでしょうね。『体制内で甘い汁を吸っているくせに』というわけです」

 冷静かつ率直に降板劇の裏事情を分析してみせた後、こんな言葉も口にした。

「例えば、司会者としてはこれも言っちゃまずいのかもしれないが、『巨人バンザイ』だったら、降板騒動にならなかったと思う。『自民党バンザイ』であっても、ボクのようなことにはならなかったはずです。もう少し、政治的な中立性を考慮すればよかったんでしょう。ただ、反体制はお笑いの源でもある。時代に阿るよりは、よっぽど良かったと思っています」

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