「何を見てもあなたを思い出す」――残された妻が、深い悲しみの果てに見いだした“希望”とは

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広大な墓地でパトロール・カーに救出され…

 彼が育ったのはこの近所、墓地は遊び場の一つだったという。夜になって閉鎖された墓地に忍び込み、友達と一緒に肝試ししたりしていた。広大な敷地だから、迷うこともあるし、夜になると何が出てくるかわからない。

 初めてひとりでピートの墓参りに出かけたとき、わたしは道に迷ってしまった。くねくね曲がる道には標識があることはあるが、同じような樹木が茂り、同じような墓石が並ぶ。すっかり方向を見失った頃には、ゲートは閉まり夕闇が垂れ込めてきた。誰もいない墓地はさすがに気味が悪い。20分も経った頃、パトロール・カーが来て、救出された。

「今度は正面入口でツイード墓地へ連れていって欲しいとスタッフに頼めば良いのです」

 パトロールの警備員はこう教えてくれた。

 翌朝早く、わたしは同じ花束をもって出かけた。正面入口で頼むと、快く引き受けてくれた警備員が、「あそこならぼくの友達がいるところだ」といってハンドルを握った。車のなかで話してみると、彼は墓地の警備責任者(セキュリティー・チーフ)で、ピートのこともよく知っていたし、ピートの墓のすぐ近くに眠る友達のことも話してくれた。

ピートはわたしを待ってくれている

 彼の友達マーシャルはニューヨーク市警の刑事だったという。2メートル近い大男だったが、曰く「9.11(ナイン・イレブン)の現場で汚染された空気を吸い込んだのが原因」でがんにかかり54歳で亡くなった。マーシャルもニューヨークの歴史が大好きだったので、ボス・ツイードの墓に近いところを選んだという。

 そういうセキュリティー・チーフも市警の刑事だった。ピートはふたりの元刑事に見守られていることになる。これもボス・ツイードのおかげだろうか。

 ブルックリン・ブリッジへの複雑な思いも、この日いらい、だいぶ収まった。地下鉄でマンハッタン・ブリッジを渡りながら、西側のブルックリン・ブリッジを見渡しても、もう哀しい気分に襲われることは少なくなった。

 ピートはあそこでわたしを待ってくれていると思えるようになったから。

(第2回に続く)

『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。

青木冨貴子(アオキ・フキコ)
1948(昭和23)年東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃 アメリカ崩壊』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』『昭和天皇とワシントンを結んだ男――「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。ニューヨーク在住。

デイリー新潮編集部

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